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〔3〕



真夏の夕刻、駅へ向かうバスの中は閑散と…というより、二人しか乗っていなかった。
どちらかといえば、反対車線の方が断然込み合っている時間ではある。
最寄り駅まではバスで二十五分、道路が込み合うこの時間帯なら四十分近くは掛かる。
最後部の長い座席に悠々と二人で座り、どこか惚けたような静にあえて話しかけることもしなかった。
最近はすっかり車での移動ばかりだったから、そういえばバスに乗るのも久しぶりだとぼんやりと考えながら、前座席の背へ頬杖をつきつつ見慣れない街並みへと視線を泳がせる。
「─────聞かないの?」
不意に呟かれた声。
「聞いてほしいのか?」
視線は窓の外へと流したまま、何でもない風に返す。
「………ほしくない」
「じゃあ聞かない」
至極当然のように返る貴志の言葉に、ちょっと悔しいと思いながらも感謝してしまう。
「静が聞いてほしくなったときに話せばいいし、話したくなけりゃ一生黙ってていい」
それから一呼吸置いて、貴志は静へと視線だけを流した。
「言っただろ?俺、相当落ち込んでるし、反省してる…‥」
一瞬何がと言いかけ、しかし思い当たった記憶にはたりと貴志を見つめ返した。
「……………まだ、気にしてたんだ」
「浮上するの苦手」
言葉の割には穏やかに笑うと、再び視線を街並みへと寄せた。
静から見れば、それはやはり自分と違い余裕のある表情で、素直に羨ましいと思える。
「……………。治彦は、大事な友達だよ」
何を言えばいいのか分からなくて、けれど言葉は勝手に口をついて出た。
「うん、見てて分かる」
あっさりと返る言葉に、酷く安堵する。
「ハルは…悪くないんだ、何も」
それでもこんなに拒絶してしまうのは。
「………僕が弱いから、いけないんだ」
二年も経つのに、自分はまだ現実に向き合えない。
二年前のあの事を…過去の自分を知る全てから逃げ出したくて、できるだけ地元から離れた学校を受験した。
けれど、あの家を出るのは絶対に嫌だった。
そのまま黙り込んでしまった静に、貴志は頬杖を解いて起き上がる。
「お前は強いと思う」
掛けられた言葉に頭が真っ白になって、静は惚けたように貴志へと視線を返した。
「委員長?」
あまりにも間の抜けた静の表情に、思わず笑みがこぼれる。
「静は今も葛藤してるだろ。逃げることなら簡単なのに、立ち向かおうともがいてる。簡単なことじゃないよ」
静は驚きに瞳を見開き、それからくしゃりと表情を歪めて。
「‥・・ばっかじゃないのぉ」
泣くのは悔しくて、けれど随分力んでいた心はあっさり力が抜けてしまった。
誰にも触れてほしくない気持ちを必死に隠して、自分にすら目隠しをして意地を張った。
それでも誰かに、気づいてほしかった…認めてほしかったのだ。
「・・委員長の、ばかぁ」
溢れた涙を隠すように俯いて。
「俺かな」
「お前だっっ」
苦笑する貴志の声に意地を張ってそう返したら、笑い声が返ってやっぱり悔しい。
「うーん‥‥・そしたらやっぱ責任取るべき?」
困ったような声音で言ったかと思うと、距離を空けて座っていた貴志が静のすぐ隣に座り直す。
「・・・えっ」
予想外の貴志の行動に静が顔を上げると、唐突に眼鏡を奪われ頭を抱き寄せられて、貴志の肩に顔を埋めさせられた。
「ぎゃーっ!何やってんだよっっ!!」
あまりの恥ずかしさに耳まで真っ赤にしてじたばたと暴れつつ叫ぶ静に、貴志は何でもないように返す。
「静、ここバスの中だから」
「……‥‥‥お、おのれ」
言葉に動きと声を封じられ、静は恨みがましい声を上げることくらいしかできない。
人の温もりが落ち着くなんて随分と久しぶりに思い出し、それで余計に泣いた気がする。
引きはがそうと初めに肩を掴んだ指は、解き方を忘れたようにしっかり力が入ったまま。
思惑にはまっているようで悔しかったけれど、こんな気持ちで泣くのは嫌な気はしなかったから、この際甘えてしまおうと思う。
「………委員長のせいで最近涙腺緩いんですけど」
「だからこうして責任取ってるだろ」
返るのは、いつもと変わらない落ち着いた声音。
「‥…タラシっぽいよ、それ」
「え、うっそ!」
意地悪のつもりで言ったのは確かで、しかしことのほかショックを受けたような貴志の声に、思わず笑いがこみ上げた。
「なんだよ、元気じゃん」
「お陰様で♪」
涙は未だ余韻を引きずるように止まらなかったけれど、すっきりしたのは間違いなく貴志のおかげだ。
「委員長ってば格好良すぎて惚れそ〜」
クスクスと笑いながら、すっかりいつもの調子でそう言えば、貴志はげっそりと溜め息を吐いた。
「いくら静が可愛くても男は勘弁」
「委員長のいけず〜」
すっかり機嫌の良くなった静は、バスが駅前に到着する頃には涙も収まり、いつもの彼に戻っていた。
バスを降りると、ふと思いついたように静が呟いた。
「委員長って、司に似てる」
そう言われ、少しの驚きを見せて貴志が振り返る。
「全然似てないけど、似てる」
独り納得したように呟く静に、貴志は苦笑をもらした。
「…どっちだよ」
その言葉には、ただ笑顔が返される。
『─────司って、誰?』
聞きたかった言葉を、飲み込む。
話してくれるまで待つと決めた。このタイミングで静から口にしないのであれば、多分今は聞いてはいけないこと。
「本屋行きたいんだけど、どこか大きなところってある?」
「はいはい、ありますよ〜」
変えた話題に、静はいつものように笑って返すと、貴志を先導するように歩き始めた。

 
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