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〔2〕



極平均的な一般家庭の一軒家、印象としてはそんなところだ。
家には母親しか居ないとかで、挨拶もそこそこに静の部屋に案内された。
「………どーでもいいんだけどさ。委員長とだとどうしても、こう‥お勉強モードなんだよねぇ」
しみじみと溜め息を吐き静がそう口にしたのは、文字通り〈勉強会〉を始めて二時間近くが経過した頃だった。
「静が先に言い出したことだろ、愚痴をこぼすなよ」
「そうだけどぉー・‥‥」
数学で分からないところがあるから見てほしいと言われて付き合ったはいいが、どうやら静はあまり得意な分野ではなかったらしく、今一つ集中力に欠けている。
「ほら、ここの設問。ケアレスミスなんてもったいない」
「……………しくしくしく」
答え合わせをしていた貴志が指摘すると、静は机に突っ伏していじけてしまった。
貴志は小さく息を吐くと、手にしていた参考書をぱたりと閉じた。
「休憩しよう。そんなに根詰めても仕方ないし、一週間部活し通しで疲れてるんだろ」
「いいんちょ〜〜〜」
瞳を潤ませ感動している静の姿に思わず笑みをこぼすと、貴志は硬くなった身体を解すように伸びをする。
「でもさー、委員長ってなんか遊んでるところ想像つかないんだよね。だからつい勉強見てなんて言っちゃったけど…実際頭いいし」
勉強を見てほしいと思ったのは本心だが、やはりここしばらくはバスケに比重が偏っていたせいか、勉学に対しての集中力はめっきり衰えていることを痛感していた。
「お前ね、人をロボットか何かみたいに言わないでくれる?俺だって遊ぶときは遊ぶよ」
「そ、想像つかないぃ〜〜〜」
「どうせね」
小さく息を吐きながら言う貴志は、珍しく拗ねているらしいことに、静はクスクスと笑った。
「んじゃ少し遊ばない?せっかく休みの日に顔会わせたんだし」
珍しいものを見てしまったと喜んだなんて言ったら、いつもみたいに最強の笑顔が返りそうなので秘密にしておいて、静はいそいそとテレビゲームを用意しに席を立った。
「‥……勉強は」
「またそのうち♪どうせそんなうちに着てまでガリ勉なんて考えてなかったでしょ」
自分に付き合う程度の勉強しかしていない貴志は、学年首位の彼からすればどう見ても軽い復習程度に過ぎないはずで。
貴志の性格を考えれば、おそらく今日一日は自分のために空けてくれたのだとの想像は容易だった。
「まあ、いいんだけどね」
妥協するような口調で言う貴志に、やっぱり少し浮かれている自分を自覚した静は、実は自分でも触るのが久しぶりだったゲーム機本体とソフトを棚の中から取り出した。



*****



トイレを借りに一階へと降りて、その帰りがけ。
ちょうど階段まで戻った頃に、すぐ側のドアががらりと開いた。
顔を覗かせたのは静の母親で、貴志は軽く頭を下げた。
「あら、ちょうど良かったわ。お菓子を用意したから、静くん呼ぼうかと思ったんだけど…葛乃部君に頼んじゃってもいいかしら?」
「あ、はい。すみません、なんだか気を遣って頂いて」
申し訳なさそうに言う貴志に、彼女は優しく笑い返した。
「いいのよ、おばさんは楽しいから。じゃあ、こっちに取りにきてもらえる?」
招かれるままにリビングに足を踏み入れる。
「静くんがお家にお友達連れてくるの久しぶりだから嬉しくて。学校遠いから仕方ないけど…あの子、葛乃部君に無理言ったんじゃないかしら?」
「いえ‥…俺の方こそ、この前は急に泊まってけなんて無茶を聞いてもらって。すみませんでした」
少し恥ずかしげに言う貴志に、彼女は穏やかな笑みで「いいのよ」と言葉を返した。
リビングから続くキッチンへと足を踏み入れ、テーブル上のお盆に用意されたお茶とお菓子を貴志に渡そうとし、しかし。
「あらやだ、スプーンを忘れてたわ」
そう言って慌てて食器棚へと向かう。
流石にその後を追うわけにはいかず、貴志は手持ちぶさたにそれとなく視線を用意されたお茶菓子へと流した。
可愛らしい形をしたクッキーは、もしかしたら手作りではないだろうかと思い、お茶は貴志が母親からお土産にと渡されたそれ。
(母さんと気が合いそうだな)
週末にはよく手作り菓子の試作品を出してくる母を思い出し、ぼんやりとそんなことを考えて。
それからふと、テーブルの片隅に立てかけられていた写真立てに目が止まる。
一見家族写真かと思ったそれは、静と両親のほかにもう一人…同い年くらいの女の子が写っていた。
(・・・誰だろう?)
話では三人家族だと聞いていたから、親戚の子か誰かたろうか。
「ごめんなさい、お待たせしちゃったわね」
何気なく写真に手をのばしかけていた貴志は、声がかけられたことによってそれをやめる。
「いえ、ありがとうございます」
スプーンの他に新たに別のお菓子も追加されており、彼女に部屋のドアを開けてもらいつつ貴志は静の部屋へと戻った。
「うっそ、お母さんてば委員長にそんなことさせたのっっ」
戻ってきた貴志の姿に静は慌てて立ち上がったが、結局テーブルの上を片づける方を優先した。
「ごめんねぇ、普通お客様にさせないっつの」
「いいってこれくらい。それより何面まで進んだ?」
謝る静に笑い返し、貴志は先に進んだであろうゲームの話に切り替えた。



*****



「しっかし意外だったな〜、委員長があんなにゲームできるとは・・・」
バス停に向かって歩きながらしみじみと言葉を口にした静に、貴志は不服げに瞳を細めた。
「一体今まで俺をなんだと思ってたわけ」
結局あれから勉強に復帰することなく、思う存分遊んでしまい、今はもう夕暮れである。
貴志の言葉に静は誤魔化すような笑みで返した。
「そいや、帰りはお迎えなし?」
それとなく話題を替えた静に、今度は貴志が言葉に詰まる。
本当は帰りも連絡するようきつく言われているのだ。
「……………。もうちょっとだけ息抜きさせて下さい」
「あははは、お疲れサマ〜」
げっそりと言う貴志に静は笑いだし、恨めしげに返る貴志の視線には余計に笑いがこみ上げる。
随分と上機嫌な静の様子に、貴志も次第につられるように笑みをこぼした。
「‥・・静?」
不意に掛かった声に二人共が視線を向けると、マウンテンバイクに乗った同世代と思われる男子が背後から近寄ってきた。
「‥…治彦」
呟いた静の空気が一瞬緊張したように感じて貴志は視線を静へと戻したが、そのときには既にいつもの静だった。
「やっぱり静だ、久しぶり!」
「久しぶり〜!卒業式以来じゃない?」
どうやら中学時代の友人らしいことを読みとり、クラスの友人達に向けるのと同じ笑顔で話し込む静の様子に、貴志は伺うように傍観する。
「お前全然連絡取れないからさぁ…高校の友達?」
話題が自分にふりかかり軽く会釈する貴志を、静は何が嬉しいのかにっこりと笑って答えた。
「うちのクラス委員長デス。委員長、コイツは治彦っつって小中一緒の腐れ縁」
「うわっ、ひどっ!」治彦の反応にげらげらと笑う静に、貴志はどうしたものかと苦笑を漏らすしかなくて。
学校でも、二人で話すことはあるが他のクラスメイトに混じっている時の静には微妙に話し辛かったりもするのだ。
「そういや、タカのヤツがさ…バスケの地区予選会場でお前見かけたっていってたけど・・・」
少し様子を伺うようにしながら言う治彦に、さっき感じたのと同じく…一瞬だけ、静が緊張を見せたのを、貴志は今度こそ確信を持って感じ取る。
「‥うん、部活入ったから。久々にやったからもう身体が鈍っちゃってた〜いへん!」
嬉しそうな恥ずかしそうな…表面上はそう見えるだろう静の態度に、治彦は心底嬉しそうに笑い、貴志は表情を変えないまま…少しだけ静のことを心配に思った。
「そっかー。いや、うん、良かった!実はあのまま辞めちゃうんじゃないかって心配しててさ」
治彦の言葉に、貴志は少なからず驚いた。
貴志の認識では、静は聖と張るくらいバスケ一筋だ。その静がそれを投げ出すほどの何かが、あったということではないのか。
「受験も終わったしね、やっぱバスケ好きだから」

「司のことがあってから、みんなお前のこと心配してたんだからな」
《つかさ》
その名が出た途端、なんとか冷静を保っていた静の中で動揺が大きく波打つのが分かる。
「ありがとう。でも大丈夫だよ、もう二年も経ったし、ね」
静の言葉を素直に信じているのか、治彦は安堵の表情を浮かべた。
「そうだよな…でも本当に良かった。もう平気そうだな」
(─────違う)
静の本意に気づかない治彦に、貴志は少しの苛立ちを覚える。
「ありがと。まったく、ハル君は優しーよねぇ〜」
「お、前なぁ‥・・」
単に自分が過敏なだけか、それとも静の背後に回っているせいかもしれなかったけれど。
「そうだ!夏休み中にみんなで会うんだけど、静もよかったら来いよ。みんな絶対喜ぶし」
「行く行く!いつ頃?」
無邪気に続く会話…しかし、その空気に反して静の手がきつく握りしめられていることに気づき、貴志はなるべく静を刺激しないよう会話に割り込んだ。
「‥…あの、話が弾んでるところ悪いんだけど。静、俺そろそろ時間が」
貴志の言葉をどう取ったのか、慌てて振り返った静の空気が少しだけ和らぐ。
「あ、ごめん委員長っ、すっかり忘れてた」
あっけらかんとした静の物言いに、貴志は普段通りに苦笑を返した。
「…俺、駅まで行き方分からないんだけど」
「だよねぇ〜。あはははは」
誤魔化すように笑う静に、貴志は小さく息を吐く。
「呼び止めて悪かったな、また連絡するよ。たぶんみんなで会うのは八月前半くらいになるから」
「りょーかい!待ってます〜。んじゃね、ハル」
手を降って別れる治彦のそれには応えることができず、ただ笑顔で見送る静に、貴志は静の頭を軽く小突くとさっさと歩きだした。
「委員長、ほったらかしにしてごめんっ。治彦に会うの久しぶりだったから…でも、時間待ち合わせてたんなら言ってくれれば良かったのに」
後ろから小走りで追いかけてくる静に、貴志からは視線だけがちらりと返る。
「阿呆」
呆れたような口調で言われ、しかし静は意味が掴めず首を傾げる。
「時間なんて決まってない。帰りは携帯で連絡するだけだし、バス停も知ってる」
現に貴志は静の案内に頼ることなくまっすぐにバス停へと続く道を歩いていた。
「あ、はは‥は‥・そっか。なんだ‥……」
乾いた笑い声は見る見るトーンを下げ、恐らく表情を作れなくなったであろう静を振り返ることのないまま、貴志はバス停まで到着した。
「………ちょうどいい時間みたい」
腕時計と時刻表を見比べ独り言のように呟いて、沈黙したままの静へようやく振り返れば、すぐ側で俯いたまま立っている。
「……………帰りたかったら、ここでいいけど?」
様子を伺うように問いかけ、しかし静はそれには首を横に振った。
「こんな顔で帰れん」
「そう」
意地っ張り…とは思わなかった。静なりの信念とか、そんな風に感じられたから・・・。
貴志はどうしたものかと考えを巡らせ、やがて静の頭にぽすっと手を乗せる。
「やめえ。涙出るし」
言って貴志の手を払いのけ、しかしどこか寂しそうな静に、貴志は再び静の頭に手を乗せると、ぽんぽんと軽く叩いた。
「きーしーく〜ん〜〜〜っっ」
「あ、バス着た。どうする?」
抵抗できずに俯いたまま言葉だけで抗議する静に、貴志はさらっと聞き流した。
「………‥‥乗る。乗りますよっ!」
感傷を振り切るようにがばっと顔を上げた静に、貴志は自然と笑みをこぼして。
静の肩を軽く叩くと、何も言わずにバスへと乗り込んだ。
不覚にも胸の内が暖かくなるような感覚を覚え、静は悔し紛れに独り呟いた。
「─────それ、タラシっぽいよ」

 
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