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静には本屋と、文房具を買うのにも付き合ってもらい、福山に迎えに着てもらった頃には辺りはすっかり暗くなっていた。 この分では家に帰り着く頃には随分遅い時間になってしまうと思い立ち、自分と同じく夕食もまだであろう福山には一言詫びて。 いつもより疲労感が強いのは、久しぶりに同世代の友人と遊び通したからだろうなどと考えながら、帰りの車の中で貴志は後部座席で瞳を瞑っていた。 明日は母と美術館へ行く約束があるし、今日はもうこのまま眠ってしまいたくもある。 ふと、静の家で見かけた写真を思い出す。 知らないはずの彼女の容姿にどうしてか見覚えがある気がして、貴志は深々と息を吐いた。 ─────司のことがあってから、みんなお前のこと心配してたんだからな 夕方聞いた治彦の言葉が甦った。 (………司、ねぇ) 特に珍しくもない名前…ただ、何かが引っかかる。 ─────大丈夫だよ、もう二年も経ったし、ね (嘘つけ) どこが大丈夫なんだと今更ながら独りごちて、けれど別れ際にはすっかりいつもの静に戻っていたから、とりあえずの心配はしていないけれど。 どこか思考が霞掛かったような感覚に、貴志は閉じていた瞳を開くと、視線を窓の外へと流す。 ─────委員長って、司に似てる (だから司って誰だよ) 考えても答えの出るはずもない内容に、それでも無意識に思考が巡ることに溜め息を吐く。 視線を流した窓の外に意識を向ければ、車は丁度大きな病院の前を通り過ぎるところ。 「・‥‥二年前」 無意識に呟いただけだったが、何かがフラッシュバックした。 (何だ‥?‥…) 霧の中に一瞬だけ差し込んだ鮮明な感覚、けれどやはりそれは掴めない。 「‥‥貴志様?」 運転席の福山に声を掛けられ、貴志は今の呟きを音にしていたことに気づく。 「すいません、なんでも…考えごとをしていただけなので」 「そうでしたか」 取り繕う貴志の言葉に、福山は素直に頷いた。 「二年前といえば、今の病院の医療ミスがマスコミに取り沙汰されたのも、確かその頃でしたね」 福山の何気ない言葉に瞳を見開くと、貴志は視線を福山へと向ける。 「………え?」 そうして断片的な記憶が甦る。 あの少女を見たのは、確か何かの新聞記事ではなかったか…当時はまだそれほど新聞を読む習慣があったわけではないけれど、三面記事位には目を通していたかもしれない。 「‥‥…福山さん、よく覚えてますね」 点が線に結ばれていくような感覚、しかし次第に鮮明になっていくそれは貴志の背に嫌な汗を滲ませた。 「当時医療ミスにはまだまだ病院側の隠ぺいあった頃ですからね。その中であの病院は遺族への謝罪や情報開示などを迅速に行っていましたから、それで恐らく印象に強く残っていたんです。逆にマスコミは彼らの事故を扱った期間は短かったかもしれないですけれど」 「………被害者の家族は、どうなったんでしたっけ?」 頭で考えるよりも早く、そう疑問がついて出た。 「えぇ‥と、すいません、そこまで細かくは‥・・」 苦笑を返す福山に、仕方ないかと思い直す。 「あぁでも、確か亡くなられた方は貴志様と同い年の女の子でしたよ」 その言葉と断片的に甦った記憶で、貴志はあの写真の彼女であることを確信した。 「福山さん今パソコン持ってます?」 「あ、はい。少しお待ち頂けますか?」 言うと福山は車を路肩に寄せ、ダッシュボードの中にしまってあった自分の鞄を取り出し、そこに入っていた小型のノート型パソコンとネットワークカードを貴志へと手渡した。 言う前に自分の考えを悟ってくれた福山に感謝しつつ、貴志はカードをパソコンに差し込んで電源を入れると、直ぐ様インターネットに接続する。 「何か気になることでもおありですか?」 「えぇ、ちょっと‥・・」 再び車を走らせながら問い掛けてくる福山に、貴志は細かい説明は避けて返した。 病院の名称、西暦、医療ミスなどの単語を打ち込んで検索を掛ければ、医療ミスの情報はそれほど苦労することなくヒットする。 開かれたサイトは医療ミス被害に合った人々が、情報の開示やシステムの改善などを訴える団体のもので、福山が記憶していた内容とほぼ合致する文面だったが、個人のプライバシーを考えてか、被害者の個人的な情報は載っていない。 事故のあった日付を確認し、貴志は自分の学校のウェブへと入る。生徒に割り振られたIDとパスワードを使って図書館の情報へアクセスした。 学校の図書館の情報では蔵書情報の他にも、過去四・五年程度まで遡って新聞の情報を確認できる。 先ほど確認した日付と自分の記憶を頼りに過去の記事を探すと、程なくそれは発見できた。 ページを開こうと動いた指は、しかし脳裏に過ぎった静の面影に一瞬躊躇いを見せる。 彼が話すまで待つと決めたはずが、自分は今…故意ではないにせよ真相を突き止めつつある。 (……………静、ごめん) 少しの葛藤の後、貴志は心の内で静に謝罪すると、止めていた指を動かした。 記事の詳細を開くと、被害者の写真は確かに自分が記憶していたものと合致する。 写真のすぐ下に書かれた名前に、貴志は奥歯をきつく噛みしめた。 『氷川司さん(当時14歳)』 コンコン 開け放たれたままだったドアをノックする音に、勉強机に突っ伏していた静の肩が僅かに揺れた。 「ただいま、静。…ここに居たのか‥・・」 そこは静の部屋とは向かい合わせの、昼間は締め切られたままだった…生前司が使っていた部屋。 彼女が使っていたものは粗方片づけられていたが、家具はそのまま残っている。 父親の声に、静は重たい動作でその身を起こした。 「………おかえりなさい」 小さく覇気のない声に、父親が寂しそうに笑うのが分かるが、今は表面上でも取り繕うことは難しかった。 随分と久しぶりに入ったこの部屋は、死ぬ直前に司が苦しみ自分に縋った記憶が甦り、だから今まで近づけなかった場所。 「今日は友達が来てたって聞いたけど」 「うん、委員長が来たよ」 涙に濡れた頬を手で拭い、深く息を吐き出してから、静はようやく父に向き合った。 昔は友達を家に呼ぶことも少なくなかったけれど、司が居なくなってからは貴志が初めてだった。 「‥‥…どうしてかな。毎朝お仏壇にお線香をあげるのも、お墓参りに行くのも平気なのに、ここだけ‥やっぱ‥…辛いんだよね」 無理に笑おうとして、やはり失敗すると、優しく抱きしめられる。 容姿は全く似ていないが、二人を知る人からは誰が見ても仲の良い姉弟で。性格も背格好も話し方も姉弟であることが一目瞭然な二人は、寧ろ似ていないのは顔だけだ。 司を失ったショックで二ヶ月近く学校にも通わず自分の部屋に籠もりきりだった静は、気持ちを入れ替えてからというもの外は勿論、両親の前でも明るく振る舞っていた。 誰の前でも泣くこともなかったけれど、この部屋にだけは近づかなかった。 「委員長にね、なんかいろいろパワーもらったから、今日は平気かなって思ったんだけど、やっぱキツイかも。………でも、司の部屋に入れたのは進歩だと思わない?」 今度こそ普通に笑うことに成功すると、静は父の腕を離れて立ち上がる。 「ああ、静は随分強くなったな」 もう一度深く息を吐き出すと、心はひどく穏やかで。 「高校…あの学校を選んで良かったって思う」 もうやらないつもりだったバスケも、聖に会えたからもう一度やる気になれた。 そして貴志に出会ったことで、自分の本当の気持ちに向き合うきっかけになったから。 「貴志と同じクラスで、良かった」 いつの間に自分の中で貴志の存在がそれほど大きなものになったのか不思議に思いながら、けれどそれは素直な気持ちだった。 「今度また、家に連れておいで」 「あはは、家遠いから〜。ま、そのうちね」 |
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〔エピローグ〕 | |
「次は絶対僕が委員長を泣かせるからな!」 週が明け、貴志が夏休みの学校に顔を出したのは火曜日。 校門を過ぎ昇降口に向かう道すがら…顔を合わせるなり静に指をさしてそう宣言され、一瞬面食らったような表情を見せた貴志は、すぐに余裕ある笑みで返した。 「静には無理だね」 「そこ!即答しないっ!」 悔しさ全開の表情で唸る静に貴志は笑うと、例によって図書館へと向かって歩き出す。 置いていかれた静は変わらない貴志の態度に嬉しそうに笑うと、しかしわざと拗ねたような顔を作って貴志を追った。 「あの後、委員長のお母さんから電話あったよ」 「ああ、うん。俺からも先日はいろいろお世話になりましたって、おばさんに伝えてくれる?」 「はーい」 昇降口を入り廊下を進んでもついてくる静に、貴志は不思議そうに視線を向ける。 「………お前、部活は?」 「ある‥‥…」 時間帯からするとまだ休憩に入る頃ではなさそうで、とすればサボっているのだろうか。 「…何か、俺に用事あった?」 考えを巡らせた貴志はそう結論に達し、足を止めて静に向き合った。 「あ、うん‥あの‥……」 貴志に合わせるように足を止める静は、しかしそのまま口籠もる。 口にするべき言葉を探っている様子の静に貴志が大人しく待っていると、やがて一度だけ瞳を伏せてから静は貴志へと視線を戻した。 「この前のこと‥僕は貴志に大きな借りが出来たと思ってる」 そんなつもりはまったくなかっただけに、貴志は少し驚いたように僅かに瞳を開く。 「………うん」 貴志からすれば、不可抗力とはいえ静の精神的に深い箇所に触れてしまったであろうこと、本当はその後に真相を知ってしまったことに対しても、後ろめたさがなかったわけではない。が、静の真剣な眼差しにあえて異論は口にせず、真実も告げなかった。 「だからお前と会わなかったこの数日間、色々考えて、ちゃんと決めた。今度は僕が貴志の力になるよ」 「・‥‥静‥」 少し戸惑ったような貴志の表情に、静は裏表のない満面の笑顔を返すと、さっきと同じようにビシッと指をさした。 「助けるつもりでいるんでしょ、陸のこと。僕、手伝うよ」 「ッッ?!」 思いもよらなかった静の言葉に、貴志は今度こそ驚きを隠せなかった。 「委員長だけじゃないよ…僕だってちゃんと、お前のこと見てる。だから、委員長が陸のこと真剣に考えてるって分かってる。協力する」 まさか静にそこまで見抜かれているとは予定外で、それは感動にも似た喜びの感情が沸き起こると同時に、何も知らない静に対して良心の呵責が胸に突き刺さる。 貴志は動揺を抑えるように深く呼吸をして、視界に掛かった前髪を掻き上げた。 「気持は嬉しいけど。慎重なお前にしては、その考えは軽率だと思う」 静は何も知らない。 自分が既に司のことを調べてしまったことも。 クリフがどれほどのことをして、陸が石化されるまでに至ったのかも。 何人魔族を殺しても罪の意識すら沸かない、冷酷な真の自分の姿も。 本当の自分を知ったら、静だって幻滅するはずだ。 「言っただろ。ちゃんと考えて、僕自身で決めたことだ」 突き放そうとする貴志に、しかし静は揺るぎない瞳を真っ直ぐにぶつけてくる。 「委員長とは知り合ってそんなに長くない。多分僕の知ってるお前はほんの少しだけだし、加えて前世からの記憶があるっていうなら、更に人格的年輪は深くて…本当は知り合った人格は表面的なもので、ものすごく極悪人なのかもしれない」 「……………」 自分の考えを確かめるように瞳を伏せながら、一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐ静に、貴志は逃げようとした自分を恥じる。 確かに付き合いは浅い、けれど自分はもう十分静の性格を知っているはずだ。考えなしに行動する相手じゃない、静は軽々しく決心なんてしない。 「委員長は僕のことなんて必要としないかもしれないし、この前のことなんて比べ物にならないくらい、命の危険があるかもしれない。考えた‥…ちゃんと、沢山考えたんだ」 童顔な顔の作りと明るいキャラクターで普段は子供に見られがちな静は、それでも凛とした表情を見せる今は自分よりも余程大人に見える。 「沢山考えて、それでもお前の力になりたいって思った。それだけのことを、貴志は僕にしてくれたから…でも、迷惑ならやめるよ」 苦笑が漏れた。 それ以外、自分にはどうしようもなかった。 「・・‥‥‥迷惑じゃ、ない」 静は自分を買い被りすぎている。 この前静に対して強いと言ったのは本心だ。 彼が自分を強いと感じているそれは、単なる処世術に過ぎない。 真っ直ぐに未来を見据えている静こそが、本当に強い人間だと貴志には思えた。 側に居るには眩しすぎて、汚れきった自分はいつかその光に飲み込まれてしまいそうで。 「迷惑じゃないけど、少し・・‥怖いよ‥‥…」 思わず本音を漏らし、それで余計に苦笑する。 「‥‥‥貴志?」 どうすればいいのか分かりかねた様子で名を呼ぶ静に、貴志は今度こそ苦笑以外の笑みで返した。 「ありがとう。お前の気持に甘えさせてもらうことにするよ」 葛藤は沢山あって、真実を知られる前に静を突き放してしまいたい衝動だって、勿論あったけれど。 彼に側にいて欲しいと、思ってしまったから。 側にいて、その強さを少しでも、分けてもらえたらと思う。 覚悟を決めたように真っ直ぐに視線を返して。 「陸を助けたいんだ。静の力を、俺に貸して下さい」 「ちょっ、委員長っっ」 言って深く頭を下げた貴志に静は驚き慌てたが、多分それが自分に向けて初めて真っ直ぐに向けられた貴志の本心だと感じて、改めて自分の中で誓う。 「氷川静、微力ながら助太刀致します!」 笑いながら差し出された静の右手に、貴志は祈るような思いで握り返した。 もっと、強くなりたい。 |
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迷える子羊は果たして静だったのか委員長だったのか・・・・二人とも、かな?(^^;;) |