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クリフの発言は、少なからず皆を驚かせた。
人一倍正義感は強いが、誠実で賢い男だ。自分の力量も、相手の力量も、許容範囲も、測れない人物ではない。
故に、ただの思いつきで行動を起こすことはないだろうから、余計に。
「どんなかたちでもいい…あの男に襲われ、故郷を失った人、苦しめられた人、殺された人たちの、何万分の一でも構わない。傷つけて、その痛みを味あわせてやりたかった。誰も守れない自分の命なんて、そのためにくれてやって構わなかった」
「………クリフ、お前‥そこまで‥‥・」
クリフがこれほどまでに思いつめていたことを、気づいてやれなかったことにデューイは心を痛めた。
どこまでも一途に、純粋に、皇子として国を守ることを誇りに思っていたクリフ。
目の前で一瞬にして積み上げられた同胞の屍を、一体どんな思いで眺めたのか。
「そして確かにそれは成就した。あの男が…レイスが、怒りに本気で感情を剥き出しにするところを、初めて見ました。初めて見て…ようやく…‥俺は、自分の過ちに気づきました。気づいて愕然とした‥‥・・・」
クリフの話す声から、次第に覇気が衰えていく。
そうして残るのは自己不信と、自責の念。
いつから、いつの間に、自分はこんな考えを持つ人間だったのか。
記憶を辿っても、その答えは出せないから、余計………。
「悪意を持って彼を侮辱し、傷つけてもそれが当たり前のように感じていた。レイスがその表情を見せたのは本当に一瞬で…だけど、確かに、あの人はとても苦しげな表情を見せました。確かにあの男のしてきたことは許し難いっ、けどっ‥…俺はいつから、人の罪を罰せられるほど偉くなったのか‥・・」
思い出した記憶に、自己嫌悪感がざわりと全身を駆け抜け、クリフは瞳を見開き自身の身体を抱く。
「それは、お前のせいじゃないだろ。あの男に対して同じように思う奴は、他にも沢山居る」
フォローを入れるというよりは、トーヤはただ率直な感想を述べる。
しかしクリフは否定するように首を左右に振った。
「レイスだけでなく、俺は今まで魔族や犯罪者たちを、敵として…悪としてしか見ていなかったんです。どんな理由があり、事情があるにせよ、傷つくことが『当然』なんて、あり得ない‥…彼らは確かに人であり、一人一人が心を持った‥人間だというのに」
今まで真っ直ぐに生きてきたクリフだからこそ、尚のこと自分の過ちが許せないのだ。
「自分の方こそ…今までどれほどの人たちを傷つけ、踏みにじってきたのか…それを考えると、正直とても怖いんです。陸だって、こんな俺のために……………」
誰にも恥じることのないよう努力を惜しまず、正しいと思う道を真っ直ぐにきたつもりだった。
皇子として選ばれたことも、誇りだった。
全てが独りよがりに思えて、自分自身が一番信じられない。
「そんなことあるわけないだろっ!」
デューイが躍起になって声を上げる。
「そんなのっ、一緒にいたオレが一番知ってる!!クリフは誰かを傷つけるような奴じゃないっ、そんな奴ならオレがとっくにどついてる。こんなに、長く…連んでないよ……」
─────届いていない。
今は何を言ってもクリフの心に触れられない…そう感じられて、デューイの声は次第に力を失い、最後の方はそれこそ泣きそうだった。
「………ありがとう、デュー」
デューイの言ってくれた通りならいい。
自分だって、ずっとそのつもりで生きてきた。
けれど無意識だ。
これまで一切意識したことのなかった部分だからこそ、記憶にも残っていない…自信も、ない。
「…‥‥‥ごめん」
「謝んなっっ!!」
壁に背を預けて座ったままの姿勢で、デューイは力任せにクリフの居るベッドの足を蹴った。
そうして俯いたまま、声を殺したデューイの嗚咽が響く。
繋ぎ止めたいのに、助けてやりたいのに、自分にはそれができない。
悔しくて、涙が止まらなかった。
静まりかえる部屋。
重苦しい空気が流れる中、ロイがゆっくりとクリフに視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
そっと頭を撫で、クリフの視線を上げさせる。
全身の傷は全くといっていいほど癒えていない。青白い顔色をしたクリフに、できるだけ早く休ませてやりたいと願って。
「‥‥‥辞めたいかい?」
静かに、問いかける。
クリフは苦しげに表情を歪め、けれど答えは返さなかった。
「私はクリフの本心が知りたい。話し辛いというなら、皆に退席してもらうよ」
責めることはせず、甘えさせることもなく、ただ穏やかに問いかけるロイに、クリフは力なく首を横に振る。
愚かしい自分を自覚して、一緒に戦ってきた皆に顔向けができないという思いにこの場から逃げ出したい思いと、だからこそ皆の前で罪を償うべきだという責任感に、葛藤する思いがクリフを追い詰める。
「………‥‥人の痛みも分からないような自分が、国を護り、民を導く‥皇子である、資格など‥‥…」
それはロイへの答えにはなっていなかったけれど、息苦しさに胸が詰まりそうで、ようやく吐き出せたのはそんな言葉だけだ。
ただ、逃げ出すことだけは、確かにしたくなかった。
「皇子というのは、本来神殿に住むドラゴンたちが、自分と波長の合う人物を無差別に選出する…国も、民も、王族も、選ばれた当人ですら、その決定に口を挟む余地などないから、陸に選ばれた君は確かに地の神殿に相応しい」
辛そうな表情のまま聞いているクリフに、ロイは小さく笑って返した。
「本当なら、その地位を拒むことすら許されない、強制的な力があるようだけど…今は幸い私という存在がある。本当に辞めたいなら、聖龍の力で解放してあげることは可能だ」
ロイの言葉に、クリフは力なく俯いた。
「ただ、勘違いしないで欲しい」
強く握りしめたクリフの手を、ロイの手がそっと包む。
「知っていて欲しいのは、辞めなければならないということも、続けなければならないということも、全くないということだから。君が自分で好きな方を選んでいい…クリフ、君自身が本当に望む道を、選びなさい」
ロイの話は、予想もしていなかった内容で。
クリフは戸惑いながら、再び顔を上げた。
自分は、どうしたいのか。
「‥・・俺・は‥・」
「‥‥‥うん」
どうしたいだろう。
辞めなきゃいけないと思った。
ずっと助け合ってきた仲間に、慕ってくれた者たちに、顔向けができない。
何より自分が、自分を信じられない。
辞めなければ、いけないと………
─────そうではなかった?
ここにいても、いいのだろうか?
でも、自分と向き合うのは…怖い。
とても怖い。
けど、逃げてる場合じゃない。
─────考えなければ
『クリフ自身が本当に望む道を、選びなさい』
その答えが、最良のものでなくても、構わないから。
自分は、どうしたい?
どう、したい?
瞳をきつく瞑り、バラバラに散乱する思考を必死にかき集める。
けれど、混乱は増すばかりで。
「‥‥‥……すい‥ま、せん‥…。………分からない、自分が、どう‥したいのか‥‥」
自分が酷く情けなくて、やっとそれだけの言葉を紡ぐ。
クリフの手を包み込んでいたロイの手に、少しの力が加えられる。
「答えは急がないよ。ゆっくり休んで、まずは傷を癒してほしい。…それから、落ち着いて、ゆっくり考えてごらん」
「………はい」
小さく頷くクリフに、ロイは彼の肩を軽く叩く。
「それと、これ‥…神殿に行くのに借りてたんだけど、返しておくよ」
差し出されたのは、皇子としての証ともいえる聖石。陸の力を失い光をなくしたはずのそれは、些かではあるが淡く光っているように感じ、クリフは戸惑うようにロイへと視線を投げた。
ロイはただ無言でクリフに受け取るようにと促すと、クリフは恐る恐る聖石に手を伸ばした。
クリフの手に渡ったそれは、更に強い光を取り戻し、今までのような力強さはないが、確かに、陸の気配を感じ取れる。
「‥‥・・・り・く‥?‥」
直後、よく知っている蒼から碧にかけた光が強力に発光し、我が目を疑うクリフの前に確かに陸が姿を現した。
「クリフ!!」
もう何年も会っていなかったような錯覚を覚える中、大袈裟なほどの勢いで抱きついてくる陸の身体は、頼りなげに彼女の背後を透けて映す。
共に屋敷に残っていたデューイとサーラも、その光景には驚きを隠せないでいた。
レイスの掛けた石化の魔法は、彼自身の強力な念と、正体も分からない精霊の呪いが混ざりあった…それまで目にしたこともないような、強力な力だったはずで。
あの時はロイですら、まるで歯が立たなかったというのに。
「私もいろいろ試してみたけれど…やっぱり、クリフじゃないと駄目みたいだ」
「そんなことないわ。おおいにロイのおかげよ」
満面の笑みでそう返す陸に抱きつかれたまま、クリフは未だ見開いた瞳で陸を見つめていた。
「‥‥・ほんと・・に・?・」
「本物に決まってるじゃない。まぁ身体が伴ってないのは仕方ないけど…自分のドラゴンも忘れちゃったの?」
今までの重い空気を全て吹き飛ばすほどの笑顔を振りまくと、幽体となった身体を利用してクリフを飛び越え、今度は背後から抱きついた。
「本当なら、ちゃんと全ての術を解いてあげたかったのだけれど、今の私にはこれで精一杯みたいだ。もっとも、具現化できたのだって、君の力だけれどね」
陸と聖石の力を取り戻すべく向かった地の神殿で、ロイは随分といろいろ策を講じたらしい。石化した身体を元に戻すことはできなかったが、聖石にはどうにか力が戻り、陸の力自体は復活した。
ただ、ロイには陸を召喚するまでには及ばなかったという。
「ごめんね、一人で辛い思いさせて‥…」
肉体のない身体は、辛うじて触れられているのがわかるほどの感覚だったけれど、全てを失ったと思っていたクリフには、胸が締め付けられるほどの暖かさだった。
見開かれた瞳から、一筋の涙が頬へと伝う。
クリフの様子に、ロイは彼の頭をくしゃりと撫でると立ち上がった。
クリフは陸の腕にそっと手を添え、溢れ出る涙にきつく瞳を瞑って、くしゃくしゃになった顔を隠すように俯く。
部屋に居た仲間たちにも、今度こそ安堵感が広がった。
 
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