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◇◇◇◇◇



馴染みの道を歩き、辿り着いた自宅の門を開け石段を登る。
「聖」
「…なに?」
ポケットの鍵を探していた聖は、アクシアルの問いかけに素っ気なく言葉だけを返した。
「平気か?」
予想していなかった言葉に少なからず驚いて、ようやくアクシアルへと視線を向けると普段の冗談めいた表情はなかった。
再び思い出してしまった記憶と感情の起伏は、どうやら表情に出ていたらしい。
「サンキュ。平気」
言葉と同時にこぼれた笑みは、けして不自然なものではなく。
ただアクシアルにとっては、聖のそんな笑顔こそがロイとダブる。
「すぐ着替えてくるから、ここで待ってて」
アクシアルへと視線を向けつつドアの鍵を開けると、しかしドアノブを回す前にそれは内側から開け放たれた。
「この不良息子!」
ドアが開くと同時に掛けられた聞き覚えのある声に、聖は驚きに見開いた瞳で顔を上げる。
「さっ早苗?!」
大阪にいるはずの姉が確かに目の前に存在し、あまりのタイミングの悪さに聖は軽い頭痛を覚えた。
「お姉様で・しょ!裕乃独りにさせて外泊なんて何考えてるの」
「…放っときたくてそうしたんじゃねぇよ」
「言い訳はいいから理由を言いなさ‥・」
早苗の話を最後まで聞くことなく、聖は彼女の横をすり抜けるようにして家の中へと入った。
「聖!!」
「友達来てるんだから後にしてくんない」
それまで来客の存在など全く気づいていなかった早苗は、聖の言葉に慌てて玄関の外へと視線を向け、そこで確認したどう見ても日本人ではない〈友人〉の姿に驚き、それでもどうにか愛想笑いを浮かべる。
「い、いらっしゃい」
アクシアルは早苗の笑みに応えるように、人の良さそうな笑みと会釈を返した。
その間に二階の自室へと戻ってしまった聖に、早苗はアクシアルへ誤魔化すように笑みを返すと、聖を追って二階へと上がった。
「聖!」
「阿呆っ入ってくんな!!」
勢いよく開け放たれたドアの先で、着替えている最中のまさに半裸だった聖は慌てて怒鳴り、早苗は勢いに押され慌てて聖に背を向ける。
そんな早苗に、聖は昨夜追った肩の傷を完全に治しておいてくれたアクシアルに感謝する。
「あっあの人、友達って‥どういう関係よ……」
「友達っつってんのにどういう関係って、意味分かんねぇんだけど」
適当に手にしたTシャツをかぶり、多少乱れた髪を整えるように結び直した。
「だからっ、どこで知り合ったとか…日本人じゃないじゃない…‥」
言いながらそれは偏見だと自覚して、早苗は罰が悪そうに口ごもる。
「なにそれ。そんなことまで姉貴に言わなきゃいけないわけ?」
不快げな聖の声音に早苗が押し黙ると、聖は小さく溜め息を吐いた。
「心配掛けたんならごめん。アルは本当にただの友達だから」
やけに落ち着いた声音はまるで知らない誰かのようで、早苗は困惑した表情で振り返る。
「‥‥‥聖」
顔を合わせたのは確かに半年ぶりくらいで、しかし電話や何かで連絡を取り合っていたときは全くそんなそぶりはなかっただけに、違和感が拭えない。
「んじゃ、出かけてくる。帰りは遅くならないはずだから」
早苗の沈黙にはあえて触れることもなく、聖は部屋を出て行こうとし、早苗は不確かな不安に駆られ咄嗟に聖の腕を掴んだ。
「・・・何?」
しがみついたまま沈黙する早苗に、聖は困ったように問いかける。
「女の勘」
「………は?」
言葉に今度こそ怪訝そうに表情を歪める。
「あんた、力は使わないっていう約束、守ってる?」
唐突な質問に、聖はきょとんとした表情を浮かべた。
「守ってるよ」
内心は早苗の鋭い指摘にぎくりとしたが、ロイの感覚が戻りつつある今は、咄嗟の感情の揺らぎすら隠すことは容易で。
「何か変なことに巻き込まれてるんじゃないでしょうね」
「なんだよ変なことって…何もないって。姉貴変だよ?」
「……………」
言いようのない不安は、しかし誰かに説明できるような確かなものでもなく、不可思議そうな視線を向けてくる聖に早苗は仕方なく手を離した。
「じゃあ、行ってきます」
不安げな早苗の視線にはあえて気づかないフリをして、聖は自室を出ると階段を掛け下り玄関で待つアクシアルの元へと戻った。
「いいの?出かけて」
玄関に座りスニーカーの紐を結び直す聖に、アクシアルは二階を気にするように視線を流しながら問いかけた。
「別にいい。透夜たち待たせてるし」
まるで無関心を装う聖に、アクシアルは肩を竦め、さっさと玄関を出て行く聖の後を追った。
「オレだったら、女性の勘の鋭さには憧れるけどね」



◆◆◆◆◆



――――― レイスは、どうして私を助けたんだと思う?
 言葉に、意外そうに振り返る。
「なぁに、お前そんな簡単なことも分からんの?」
―――――(苦笑)
 自分の感など信じられなかった。
「お前も王子も、なぁーんでそう大事なところばっかり抜けてるんだか」
 呆れきった視線。
――――― ………………
「そんなの決まってんじゃん」
 彼を育てたアクシアルの言葉なら、きっと。
「王子はロイに生きていて欲しかったんだ」
 真実だと思っても、いいだろうか。



◇◇◇◇◇



これといって、特別な何かはなくて。
貴志からは、ただ、できるだけ建物の外には出ないでほしい、と。
午後には解放してくれるというが、それはつまり午前中のうちに何らかのアクションがあるのだと取った。
透夜は相変わらず綾奈の元を離れず、静は持て余した時間に屋敷の中をぷらぷらと歩いていた。
降って沸いた話に、未だ実感などは更々なくて。
話し聞かせてくれたのが貴志以外の誰かだったなら、おそらく今も信じてはいなかっただろう。
廊下の窓から外を見やれば、そこはやはりいつもと変わらない穏やかな空が広がっている。
ただ、今までとは何かが違うことも、なんとなく理解できた。
目隠しをしたまま知らない町に放り出されたような不安定さの上で、息を潜めて全神経に意識を張り巡らせているような…。
静はコツリと額を窓へと押し当てると、瞳を伏せて深く息を吐いた。
本当に、血が流れる…傷つけ合うのだ。
綾奈を連れて戻ってきた時の貴志は、ほんの小さなものではあったが、身体のあちこちに刃物で切ったような傷を負っていて。
静の心配をよそに、貴志はそれらをあっという間に魔法で治してしまったのだけれど。
聖のことを訪ねれば、ただ不機嫌にあんな身勝手な人は知らないとしか答えてくれなかった。
聖への不満と共に、酷く自分を責めている様子の貴志に、静はあの場でそれ以上は聞けなかったが、その後聖から掛かってきた電話のやり取りを見た限りでは、どうやら聖は無事らしいとは思ったのだ。
曇るばかりの思考に、つい煙草が恋しくなるが、無論透夜が居るこの家で吸うわけにはいかない。
これで外出禁止は、若干辛いなどと考えていたところに、廊下の向こうから近づいてくる人の気配に気づいた。
学校でそうであるように、互いの存在を認識していても、あえて声をかけることもなく…通り過ぎようとした貴志に、静は気が変わったとばかりに振り返った。
「行くの?」
まっすぐに向けられた視線には応えることはなく、ただ瞳を伏せたまま簡潔に答える。
「行くよ」
少し…ほんの少し、貴志が緊張しているように思えて。
何かを覚悟したような表情は、そう、まるで………
「……………委員長が死んでも、後追ったりしてあげないからね〜」
おどけた口調で言ったはずが、貴志は随分と驚いた表情で静へと顔をあげた。
ややして、どっと力が抜けた様子で、呆れ返った視線をよこす。
「死ぬわけないだろ。縁起でもないこと言わないでくれる」
「そりゃ失礼。委員長があんまり覚悟決めたような顔してるからさぁ〜」
ぺろりと舌を出してあっけらかんと言うと、静は貴志へと歩み寄る。
「怪我も、しないでよね」
視線を足下へと落としながら、少し緊張した声音で告げる静に、貴志は苦笑した。
「了解」
まるで自分を宥めるような貴志の声音に、それまで目を背けていた恐怖に急激に追い立てられ、静は俯いたまま声を荒げた。
「本当に!イヤだからなっ」
変貌した静の態度に、貴志は瞳を瞬くと、静の顔を覗き込むようにする。
「………静?」
気遣う貴志を避けるように一歩後退ると、しかし突如として顔を上げ必死の形相で真っ直ぐに貴志へと視線を向けた。
「なぁ貴志、本当に僕に何かできることはない?」
縋るように問う静に、貴志は困った様子で言葉を選ぶ。
「やっぱり俺のこと信じられないかな」
まるで駄々っ子のように貴志を困らせていることに気づき、静はしゅんと肩を落とした。
ただ、思い出してしまうのだ。
何もできなかった自分を。
祈って、信じて、待って。
帰ってこなかったあの日の絶望を。
震え出しそうになる身体を、無理矢理に力んでどうにか堪える。
「…苦手なんだもん、誰かの帰りを待つのって。自分は何もできずに、ただ無事を祈って待つの‥‥‥苦手なんだ。委員長のこと信じてないんじゃない」
「じゃあ今日ここで克服しろ」
あまりにもすっぱりと言われ、もしや怒らせたかと静は泣きたい気持ちで恐る恐る顔を上げるが、予想に反して落ち着いた…真面目な顔の貴志に、僅かに緊張を募らせる。
「スタンドプレイだけが全てじゃない」
「‥わ‥かってる」
「苦手だって自覚があるなら丁度いいじゃないか。克服できれば、静は一つ強くなる」
真っ直ぐ告げられる言葉に、静はゴクリと喉を鳴らした。
貴志が自分を甘やかさないのは、信じてくれているからだ。
自分が逃げずに立ち向かえることを、強くなれることを、期待してくれている証し。
喉に引っかかるような呼吸を強引に深く吸い込んで、それで波打つ神経を少しは落ち着かせることができた。
「俺は死なないよ」
貴志はもう一度、静に聞かせるように告げる。
「誰かさんに後追ってこられても困るし」
軽い語調で付け足された最後の言葉に、静は一瞬呆気に取られた。
それから肩をわなわなと揺らし、顔を真っ赤にして声を荒げた。
「だっ、から追わんと言ってるだろ!!」
その反応はかえって図星のようで、ますます顔を赤くして大袈裟な動作でそっぽを向くと、貴志は笑って静の肩を軽く叩き、「行ってきます」とだけ声をかけて玄関へと向かった。
静寂が戻る中、静はしばらく貴志の消えた方向を眺めて。
「……………信じてるから、さっさと帰ってこいよ」
 
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