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◆◆◆◆◆



加減なく押さえ込んだ指の下で脈打つ血流が弱まっていく感覚に、我に返ったロイは咄嗟に手を放すとレイスの身体を突き飛ばした。
自分が成そうとしたことに…一時の感情に流された己に愕然とし、そしてレイスを永遠に失う恐怖に震えてその場にへたりと座り込んだ。
取り戻した呼吸に噎せ返っていたレイスは、再び躊躇いを見せたロイを忌々しげに睨みつける。
「‥‥…結局、お前は‥私との約束を果たさないのだな」
今度こそ本気で戦うと誓った。
対峙せずとも決着のついていた戦い。
ならば、レイスは死にたがっているのかもしれない。
「……………違う」
それらを否定するようにロイは呟き、祈りにも似た気持ちで一度だけ…きつく瞳を閉じる。
「お前の戯れ言は聞き飽きた。それほどまでに私に屈辱を味あわせたいのか」
「違うっ!!レイスこそっ、レイこそ私が憎いなら殺せばいいんだっっ!?」
箍が外れたように泣き叫ぶロイの言葉に、レイスは驚きに瞳を見開いた。
「本気で貴方を殺すつもりで来た!嘘じゃないっ、私はレイに助けられるばかりで何も返せないから‥レイが望むなら、それを貴方が望むというならっ!何もない私には、そんなことくらいしか私は返せないからっ!!」
自分の全てはこの人にもらったものばかりで、与え支えてもらうばかりで、恩を返せる何かも持ち合わせていないから。
レイスが自分に望むものであれば、何であれ…。
「難しいことじゃなかったはずだっ、今までだって‥私はずっと私を殺して生きてきた。私情を殺して、いつもみたいに‥…周りが望むように振る舞ってっ、昔のように戻れないことだってとっくに分かってるんだから!最初から敵だったっ、これ以上何をしても、後は苦しむだけなんだって分かってるよっ!!」
どうして二人きりになどなったのかと後悔するしかなかった。
レイスと二人にさえならなければ、きっと今だって私情を殺せたはずだ。
無様に泣きわめくこともなく、きっと仮面を被ったままでいられたはずなのに。
「嘘じゃない、本気だったんだ。けど………私にはこれが限界だ」
諦めにも似た思いで呟くロイに、レイスはまるで興味がない様子で、ただゆっくりと立ち上がる。
「認められぬな。お前の力は今や父上に匹敵するほどのはず…」
「貴方はよく知っているじゃないか!!私がっどれほど‥弱い人間なのかっっ」
本当の自分など、他の誰に見せたことも、話して聞かせたこともない。
唯一人レイスだけが、自分の何もかもを分かっているのに。
「‥・こんなにまで憎まれて、拒絶されて・・それでも。それでもどうしても、レイを失うなんて考えたくないよ!この手で殺すなんてできない!!」
今ここで断ち切らなければ、この無限回路のような苦しみから逃れられないと分かっていても、戦意を再び奮い起こすことはできなかった。
「‥‥‥もう、やめようよ、レイ」
レイスの喉を絞めた直接的な感覚は今も指に残って…もとより強くはなかった脈が徐々に生気を失っていったそれを思い出すと、恐怖に駆られいっそのこと感覚の残る手を潰してしまいたいくらいだ。
「ようやく、分かったんだ。自分の気持ちに嘘をつく行為が、如何に愚かなことか。どんなに理性で作り固めても、貴方を大切に思うこの気持ちを掻き消すことはできないんだって」
まるで戦意を失ったロイの様子に、レイスは怒りを露わにロイを睨みつける。
「‥…戯れ言を」
複雑に絡み合ったこの関係を、今度こそ完全に断ち切ることができるはずだった。
これ以上、続けば続くだけ苦痛しか生み出さないはずの関係は、しかしそうと分かっていながら、それでもロイは失いたくないと縋る。
「これ以上、お前は何の意味があるというのだ!私はお前に、お前の側に居る者達に害を為す者でしかないっ、憎しみ合っていてどうして馴れ合う必要がある!」
「憎んだことなんてないっっ!!」
レイスの言葉に、ロイは堪らず叫んだ。
涙に濡れた瞳で、それでも視線は真っ直ぐに逸らすことなく。
「レイを憎むなんて、そんなことっ!今まで一度だってない」
どれほど民を、仲間を、自分を傷つけられても、苦しめられても。
自分にとってレイスは余りに感謝の念が強くて、龍族の他種族に対する偏見と父王のレイスに対する仕打ちの程を思うと、彼に憎まれて然るべきだと思えてしまう。
「だから、私にはできないっ!」
「ふざけるな!!」
「ふざけてなどいない!」
何か言葉を口にすれば、今はその分だけレイスの怒りを買う結果になることは理解できていたけれど、とうに箍の外れた状態のロイには自分を制御できるほどの力もなかった。
「私の中でどれほど貴方の存在が大きいかっ!例え肉体が滅んだとしても、この想いだけは残り続けるとさえ思えてしまうのに!?」
「黙れっっ!!貴様の戯れ言は沢山だっ、これ以上振り回されて堪るものかっっ」
言って足下に落ちていた短剣を拾い上げるレイスに、ロイは涙に滲む視界を必死に凝らして、視線を逸らさず睨み返す。
「殺すなら殺せばいい、私はもう逃げない。貴方に憎まれ続けて生きるよりずっとましだ」
「ロイッッ!!」
覚悟を決めたように立ち上がるロイに、レイスは赤い双貌に更なる怒りを載せて。
「お前は‥お前は何もわかってないっっ!?」
爆発する感情に任せ駆け出すレイスに、瞳を伏せたロイには間近に迫った彼の表情は知ることのないまま。
「ぐ‥ッ‥・・」
脇腹の‥わずかに急所を外れた箇所に突き刺さった短剣に、生暖かい血液はじわりと溢れ、力をなくしたロイの身体と…既に限界に等しかったレイスの身体が、重なるように倒れ込む。
邪魔が入らぬようにと森を丸ごと覆っていた結界は、その力の半分を与えたロイの生命力が衰えたことにより愕然と弱まった。
深い傷の痛みと消耗し切った体力に意識が遠のきかけたロイは、しかしけして強くはない力で掴まれた肩に、わずかに瞳を開いた。
「‥……お前は、何も分かっていない」
そこに先ほどまでの憎悪に満ちた瞳はなく、レイスの端正な顔は苦しげに歪められ、ロイは驚いたように視線を上げる。
「普段は馬鹿みたいに悟いくせに。お前以外は皆…お前の仲間だって気づいているというのに、何故ロイだけに伝わらない」
呟くように言葉を漏らし、力なく俯いて、レイスは自身の額をロイの胸元へとそっと降ろした。
「‥・レイ・・ス‥?‥」
レイスの言葉が示唆する部分を取りかね、ロイは掠れた声音で名を呼ぶ。
「………私が、本当に…お前を憎んでいるとでも、思っているのか?」
何を言われたのか…正直理解できなかった。
近づく死の気配に、都合の良い幻聴でも聞いているのではと疑うしかない。
「……………父上など、此の世から居なくなればいい」
苦い感情と共に吐露されたレイスの言葉は、ロイに届かなかった。
視力も聴力も機能は著しく低下し、すぐ側に居ただろうレイスすら、もう感じ取ることができない。
いつの間に目を瞑ったのか思い出すことはできず、闇に堕ちていく意識の中、レイスの気配は遠く。
「ロイ!!」
そのまま手放すはずだった意識をつなぎ止めたのは、名を呼ぶレイスの声と、傷口から抜かれた短剣に代わって注ぎ込まれる暖かな力。
酷かった出血が止まり、僅かずつでも癒されていく傷口に、ロイはぼんやりとした思考で瞳を開き…しかし、それがレイスの力によるものだと気づくと、驚きに意識は鮮明になる。
「‥‥な・に・・‥やって‥・レイスっ・」
「‥‥‥お前が、命を落とす必要は‥ない‥・・」
言いながら苦しげな表情を浮かべるレイスに、ロイは後退ろうとしたが、出血の激しさから思うように身体が動かず、せいぜい身を捩る程度にとどまる。
「いいっ、‥そんな、こと‥・駄目だっ」
呼吸するのもやっとの状態で…それでもロイは首を横に振った。
先ほどまでの戦闘で、レイスも自分も余力など皆無に等しいのだ。
「・‥そんな‥ことっ、それ以上、精霊に力を借りれば・・・レイが死んでしまうっっ!!」
今や森を覆っていた結界は完全に解かれ、僅かに取り戻したその力をもって成立させたらしい治癒魔法は、しかしそもそも魔族であるレイスには相当の負荷が掛かるはずで。
「‥‥・私なら、心配など不要だ」
言葉と共に、苦しげな表情の中に僅かに見せる笑み。
混乱する。
どうしてこんなことになっているのか。
レイスは自分のことを恨んでいたのでは…憎んでいたのではなかったか。
「ロイ、私はお前を憎んでなどいない」
幻聴などではない…今度こそはっきりとした現実として届いたレイスの言葉に、ロイは瞳を見開き、やがて再び泣き出しそうに表情をと歪めた。
「憎んでなどいない。ただ‥…」
続く言葉が告げられることはなかった。
遠方から急速に近づく強大な力に、緊迫した空気が一瞬走り、直後辺り一帯を覆う閃光に視界が眩み、爆音が鳴り響く。
レイスは咄嗟に二人を護る結界を張るが、複数の魔法を同時に支えるほどの力は残っておらず、ロイの傷を癒していた力が消滅し、途端にロイの身体から力が抜ける。
「ロイっ?!」
名を叫び、慌ててロイの身体を抱き起こしたレイスを、遠巻きに囲うようにして何人もの男たちが近寄ってくる。
「お手柄です、レイス様。お父上もさぞお喜びになられましょう」
わざとらしく話しかける男に、レイスはギラリと鋭い視線で睨み返した。
「如何されました?さあ、お疲れでしょう、この者達がレイス様をお送り致します。聖龍王をこちらへ」
「断る」
はっきりとした意志で即座に答えるレイスに、男は鬱陶しげに瞳を細める。
今までにも何度かロイを捕まえるチャンスがなかったわけではなく、それを毎度レイスが邪魔に入っていた。
強引に事を運ぼうとしたところで、あのアクシアルが鍛えただけあって、レイスと対等にやり合うにはかなりの犠牲を覚悟しなければならない。
加えてルアウォールの息子に手を出すことは、一歩間違えば反逆者とされる可能性すらあるのだ。
第一あのアクシアルが、レイスが戦闘に巻き込まれることを黙って見過ごす筈もない。
しかし………
「よもや血迷い事など言われますまいな。ルアウォール様からは、邪魔者は誰であれ容赦せぬよう仰せつかっております故。…無論、貴方様とて例外ではないのですよ」
ルアウォールからの許しを取り付け、邪魔者のアクシアルはそのルアウォールに身柄を押さえられている。
ロイとレイスが互いに傷つけ合い、極限まで力を失いつつある今は、またとないチャンスだった。
「貴様等などに、ロイは渡さない」
レイスは男達の要求をはねのけ、ロイを抱く腕に力を込める。
先ほどの攻撃からかすれば、聖龍王の討伐に託けて、あわよくば自分もまとめて始末する気でいたに違いない。
例え、そうでなかったとしても。
「―――――ロイは誰にも渡さない」
迷いはなかった。
ようやく逃げずにロイと正面から向き合って、失いかけた己の真の想いを見つけ出したのだ。
「致し方ありませんね。それほどまでにお覚悟をされているということであれば、我々も相応の覚悟を持って貴方様を排除させて頂きます」
予想通りのレイスの答えに、男は口の端で笑みを作る。
積年の恨みともいうべきレイスへの感情を、彼を葬る機会が訪れたことへの喜びを隠すことなく。
互いを探り合う沈黙が流れ、その張り詰めた空気の中、それまでレイスの腕の中でぐったりとしていたロイが、力なく震える指先でレイスの服を引っ張った。
レイスはロイが言わんとすることは直ぐに察したが、それに応える気など更々なく、ただ相対する父王ルアウォールの腹心の部下である男を睨み据える。
「‥・レイ・・・もう、‥いいから‥・・」
レイスが自分の言うことなどに耳を貸す性格ではないことくらい、嫌というほど理解していた。
ロイは祈りにも似た思いで、レイスの無事を案じる。
既にほんの僅かな抵抗すらできなくなっている自分は、放っておいても朽ちるだろうから。
だから、巻き込みたくはなかった。
レイスには、助かってほしかった。
今度こそ暗転する意識に、それだけを切に願って。












もう一度、目覚めることはないと思っていた。
視界に広がる鬱蒼とした木々と、逆光に表情が読み取れない人影と。
「・・‥イっ、ロイ!!」
自分はまだ、この地獄から抜け出せずにいる。
「ロイっ!しっかりしろっ!!」
彼にしては珍しく動揺した声音だと、どこか遠くで考えて。
「‥‥・ア・・ル・?・」
日の光が雲に遮られ、ようやく目にしたアクシアルの表情は、心底安堵したようなそれだった。
「‥‥…良かった。お前は、無事だな・・・」
無事と言うには余りに酷い有り様だったが、それでもアクシアルがある程度治癒魔法をかけてくれたらしく、無理をすれば起き上がることも可能だった。
「‥‥‥見ての通りだ」
地に落としたままの視線で、苦笑を漏らしつつ答えるロイに、アクシアルは安堵の息を漏らした。
悲鳴を上げる脇腹の傷を黙らせるように片手で押さえ、どうしようもない貧血感に深く呼吸をして。
新鮮な酸素に、どうにか働きだした思考が、そこでようやくアクシアルの言葉に反応する。
『お前は、無事だな』
嫌な汗が背筋を伝い、確かめたくはない現実に、それでも覚悟を決めるように息を吐く。
「……………アクシアル。レイスは?」
言葉にアクシアルの視線が自然とロイの背後へと向けられ、つられるようにロイは振り返った。
視界に入った情景と共に、アクシアルの言葉は鈍く心臓を貫く刃となる。
「レイスなら死んだぜ、ロイ」
 
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