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ロイは、レイス以外の誰かに自分の弱い心を曝け出すことができない人だった。 だから、今、目の前にいるのは、ロイじゃない。 「ったく、オレもどうかしてるぜ」 少し前までの騒ぎが嘘のように静まり返った部屋で、既に地平線を越えて登り始めた太陽にしらけた視線を送りながら、この時間帯に全く不釣り合いに琥珀色のアルコールを喉へと通す。 聖がようやく眠りについてからだって、まだそれほど長くは経っていない。 眠りたくないのだと怯えるように呟く聖に、それでも身体の方が限界だろうからとどうにか宥めたのだ。 (・・‥‥眠る度にあんなに魘されるんじゃ、無理もない) すぐ側で無防備に横たわる聖の髪を撫で、アクシアルは小さく溜め息をこぼした。 夢を見たくないというのであれば、力で心を支配してしまえば恐らく夢を見ることもないだろうけれど、それでは例え身体が眠りについても精神は疲労し続けてしまう。 他に策はないかと考えて…外的刺激に影響するのであれば、力を封じることで魔法力に無意識に過敏になっている神経を鈍くすることができるかもしれない。 試してみれば、今のところは穏やかな寝顔を見せていた。 どうして自分がこれほどまで聖に構うのか、理由はとっくに分かっていたけれど、やはり自問してしまう。 これは、ロイじゃない。 ロイは死んだ、気の遠くなるほど昔の話だ。 だけど。 あの時のことで聖が苦しんでいるというならば。 「‥‥…オレの、せいなんだろーな。やっぱ」 グラスに入ったお酒をまた少し煽って、ベッドの空いたスペースへと寝転んだ。 レイスが一度死んだあの時、彼を蘇生することを一番に考えた自分は、放っておくのは危険だと分かっていて、それでもロイの側を離れた。 ロイにも、自分にも、大きすぎるレイスの存在は、そのまま失うことはできないと思ったからだ。 そもそも蘇生の術自体、アクシアルでさえ成功した例は知らなかったし、誰でも蘇らせるわけではない。 実際アクシアルだって、術を安定させレイスの容態を落ち着かせるまでには半年も掛かったほどだ。 その半年の間、ロイの精神が崩壊寸前まで追いつめられていたことにも気づけずに。 あの時もし側にいられるだけの余裕が自分にあれば、もう少しくらい長く…せめてレイスが意識を取り戻すくらいまで、ロイは生きていたかもしれない。 ルアウォールが封印されロイが死んで、全てが終わってからレイスの意識が戻るまで、一年は経たなかった。 重度にロイに依存していたレイスもまた、現実を受け入れることができずに、不安定な精神のまま年月を費やした。 レイスが落ち着きを取り戻したのは、割と最近の話…占者たちが聖龍王が現れたと騒ぎだす、少し前のことだ。 レイスが〈生源の宇宙〉で出会ったという少年が聖であることは、間違いない。 「・・・・・ホントはおっきな借りがあるんだけど。覚えてないのな、お前」 それが偶然だったのか、必然だったのか、知る術はない。 ただ、自分が何百年も救うことができなかったレイスの心を、まだ本当に覚醒する前の…ただの小さな子供だったであろう聖が救ってくれたことだけは確かで。 なのに目の前にいる聖は、今もあの頃の悪夢にとりつかれたままだなんて。 「………‥‥無力‥か」 呟いた言葉に、気持ちは余計に沈んでしまう。 「あー‥・・王子に会いたいなぁ〜」 前髪を掻き上げ、久しぶりに何日も離れて過ごしているレイスを想って、アクシアルは瞳を閉じた。 都内とはいっても、比較的自然が残っている地域。 加えて敷地が広いため、庭というより林に近いほどの土地が建物の周りを取り囲んでいる。 透夜は早朝の澄んだ空気の中、そんな広い〈庭〉に長いこと独り立っていた。 瞳を閉じて意識を集中し、それでいて空気と一体化しそうなほどに気を静める。 普段であれば今は朝稽古の時間で、刀と向き合い精神を鍛え、道場に入っているはずである。 幼少期より続く習慣だけに、それができないことは結構な違和感で、せめて自然の中で精神統一をはかることで、内面だけでも普段の緊張感を取り戻した。 昨日の出来事を振り返り、今の自分にできることは何かと見つめ直す。 追いつめられていく聖を思えば、何もしてやれない自分に焦りにも似た感情が沸き起こるし、身体を張って自分たちを守ってくれている貴志の姿には、無力な自分を思い知らされて。 何より一番恥ずべきは、アクシアルの力にたやすく落ちた己の精神の弱さに他ならない。 そんな個人的な感傷を飼い慣らし、冷静な判断力と他を受け入れる許容範囲を回復する。 真剣を手に戦場に赴くことなどない時代に生まれ、剣技は世の中には伝統芸能に近い扱いをされる中、それでも透夜自身は剣を軽んじたことは一度もない。 命の重みを受けるそれを操るには、強靱なまでの精神力を要する。 自分とは桁違いに長く生き、尚且つ戦場を肌で感じる距離に身を置いているアクシアルにそれらが劣ることは仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、生憎とそんな可愛らしい神経の細さは持ち合わせていない。 (感謝しなきゃね) こぼれた笑みは強がりなどではなく、次の機会を残されたことと、新たに乗り越えるべき壁を教えてもらったことへの素直な思いからだ。 そう考えがめぐり、どうやら自分はまだまだ余裕があるらしいことにも気づく。 自身の許容量を改めて自覚した後、透夜は空を仰ぎゆっくりと深呼吸をした。 ふと、家の方向から近づいてくる人の気配に、透夜は視線を向けると笑いかけつつ歩み寄る。 「おはよーさん。随分早いね」 何事もなかったように言う透夜に、貴志は安堵しつつも少し困ったように笑う。 「お早う御座います。その言葉、そっくりお返しします。驚かされましたよ」 どうやら心配させてしまったらしいことに、透夜はごめんごめんと軽い口調で返した。 「朝稽古ができないと落ち着かなくってね〜」 それでようやく透夜の家が道場主だったことを思い出し、貴志はなるほどと納得する。 「身体の調子はどうです…まだ、違和感は残ってますか?」 「いんや、お陰様で。とりあえずは平常通りっぽいかな」 昨日アクシアルに生命力とやらを奪われてから続いていた脱力感と疲労感は、きれいさっぱりなくなっていた。 ただ、ひとつだけ最悪なことに、あのとき植え付けられた快感は今も忘れられずにいたりする。 彼らの住まう世界がどんなところなのか、彼らの力がどんなものなのか。 情報をまるで持たない透夜には、やはり不利と言わざるを得ない。 できることなら、この感覚が薄れるまではアクシアルとは顔を会わせたくないものだ。 (まぁ、昨日みたいな不意打ちよりはマシ、か‥…) 「あまり無理しないで下さいね」 言ってから、貴志は透夜さんには必要ない言葉かもしれませんが…と付け加えた。 聖ほど無鉄砲でもなければ、静のような情緒不安定さもなく。 「葛乃部ほど無理してないつもりよ?」 昨日から緊張の解けない貴志の心を見透かすように、透夜はふわりとした笑みを返す。 「もちろん俺だって無理はしていません。でも、決着は今日中に着けますから」 前世からの因果など関係なく、この人たちを守りたいと確かに思えるから。 「そ?」 「はい」 「んじゃ、頑張りな。背中くらい預けて構わんからね〜」 貴志の意志を尊重するように言って、透夜は貴志を促すように家の方へと歩きだした。 「‥ねぇ‥‥…ほんっとぉーに、出かけるの?」 「出かける」 今朝から五度目となる同じ質問を口にしたアクシアルに、聖はいい加減うんざりとした表情でそう返した。 「貴志と約束してるし、あいつ一人じゃキツイはずだから‥…って、何回同じこと言わせるわけ?」 いくら覚醒しているとはいえ、静的属性の魔法の方が得意な彼に、昨日対峙した面々を考えれば、全てを任せるには負担が大きすぎる。 「そんなこと言ったってさぁ〜、あんたまだドラゴンの召喚できないんでしょ。力使えばぶっ倒れるし、熱も下がってないのにそんな状態でどうやって加勢すんのさ」 随分と呆れた口調ではあったが、それでも心配されているらしいことは分かって、聖はそれを振り切るようにぶっきらぼうに答えた。 「どうとでもする」 言って足早に進む聖に、アクシアルは肩を竦めると仕方なく後に続いた。 難なく追いついてくるアクシアルは、背丈が透夜と同じくらいか…或いは少し高い背く、脚の長さの差かと思うと聖は余計不機嫌になる。 「あんたこそ、いつまでついてくんだよ」 昨晩泊まったアクシアルのホテルは、今朝ロビーに出て聖は改めてそこが桁外れに高そうな場所であったことを知った。 どう見ても場違いな自分を、しかしアクシアルの連れだからか…こちらが恐縮してしまうほどの丁寧さで対応され、朝食もそこそこに帰ってきた。電車を乗り継ぎ、今はもう地元の街並みを足早に帰宅途中である。 「折角聖がうるさい連中と離れてるからね。もう少しご一緒させて頂きます」 「………‥‥あっそ」 ややうっとおしい感はあったが、昨晩助けられたことを思うと無碍に扱うこともできず、聖は複雑そうにそれだけ言葉を返した。 実際、あの時アクシアルが側にいなかったらと思うと、それだけで恐怖に身体が震えそうで…正気を保てずに、今度こそ気が狂っていたかもしれないとも思う。 アクシアルに促されることによって正確に思い出した記憶は、確かにレイスを殺したのがロイではないという事実。 ただ、原因がロイにあることは、否定できないけれど。 |
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