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「そうしてまた、逃げるつもりか」 剣を落とされ、魔法力も尽きて追い詰めるれた状態で尚、レイスは止めを刺せずに剣を手放したロイを挑発する。 「お前はそうやって私を見下す…いつでもしとめられるのだという余裕で嘲笑う」 「違うっ!」 「違わない。現にお前はまた武器を手放したではないか。お前の情けで生かされる度、私はプライドを傷つけられる」 普段感情の込もらない赤い瞳が、静かに憎悪を湛えていく様に、ロイは言葉を失う。 「そうやってお前が決断を先延ばしにするから、犠牲が増える。お前がさっさと私を討ち取っていれば、何百何千もの命がお前への当てつけに私に狩られることなどなかった」 ずっと目を逸してきた現実を突きつけられ、ロイは堪らず瞳をきつく瞑った。 「気づいていなかったとは言わせない。本当は全て分かっているはずだ、私がお前に何をしてきたか………」 言葉にぎくりと肩を揺らし、ロイは青ざめた顔をレイスへと向ける。 「私をあの地下室へと封印した男、龍族先代の王を殺すよう父上に頼んだのは私だ」 先代の王…ルアウォールに魔族の血を植え付けられ、ロイの目の前で母に殺された、父。 告げられた内容に衝撃はなく、代わりに絶望にも似た感情が沸き起こる。 「‥ッ‥・・や‥めろ・・・」 確証はなくても、薄々は…気づいていた。 茫然自失のまま、それでも表面上は普段通りに振る舞うロイの前に、良すぎるほどのタイミングで現れたレイスに、それをうやむやにしたまま…それでもやはり張り詰めた精神は彼によって癒されたことも確かで。 「何の力も持たぬ龍族風情がこの私をあんな場所に百年近くも…すっかり鈍ってしまった感覚は、お前のお陰で取り戻すことができたがな」 「‥‥………やめろ」 出会った頃のレイスは何に心を動かされる様子も、感情が表に出ることもなく、深紅の瞳は硝子のようにただ在る物を映していた。 誰も訪れたことのない森の奥深くに存在する、一滴の濁りもない神秘の湖のような、そんな印象を与える。 あの頃の彼を変えたとすれば、確かに要因はロイ以外はない。 「元軍属のあの女の話を野心の強かった将達に流したのも私だ」 「もういいっ」 レイスの言葉を拒絶するように、ロイは視線を外し声を荒げる。 ずっと不思議だった。 いつも側に居るシヴァや自分に近しい者達ならまだしも、何の接点もない一介の魔族がクレアの存在に気づくなど。 けれど考えれば考えるほど、原因を突き止めるのが怖くなって、気づかないフリをして。 「お前が選んだ女にしては随分種族に拘りがある女だったな。喧しくて仕方なかった」 「やめろと言っているっ!!」 避けてきた、知りたくなかった真実を暴かれていくことに堪えきれず叫ぶロイに、レイスはそれでも続ける。 「お前の友人の側近だった男も、全て私が」 「やめろぉぉぉっっ!!!」 それ以上聞きたくなくて、ロイはレイスの胸倉を掴み襲いかかった。 「いつまでも現実を認めようとしないお前の目を覚まさせてやっているだけだ。私が憎いならさっさと殺せばいい」 「うるさいっ、黙れっっ!!」 気づいてしまえば壊れるしかないことを知っていた。 自分はそれほどできた人間じゃないことを、知っていた。 だから目を瞑って、ずっと封印してきたはずなのに。 「私は初めからお前など認めていないっ、初めから大キラ」 「ウルサイウルサイウルサイッッ!!」 レイスの言葉を遮るように叫び続けて、制御をなくした嵐のような感情に任せて、ロイはレイスの首を絞め上げた。 だけど、それは彼に対する憎しみからではないことも、分かっていた。 ただ、これほどまでに自分がレイスに憎まれていることを、これ以上思い知らされることが堪えられなかったから。 横たわるレイスの身体に視線を止めたまま動かなくなったロイに、アクシアルはただ端的に事実だけを伝えた。 「レイスなら死んだぜ、ロイ」 何か…表現しがたい何かが、もろく崩れさる感覚。 跡形もなく、風化して消し飛んでしまうような。 真っ暗な闇に飲まれた感情と、ひどく鮮明な理性。 「そう」 けれどあっさりと返る言葉は普段とまるで変わらず、そんなロイの様子にアクシアルは肩を竦める。 「あんたにゃかなわんね…流石に、今回ばかりは少しくらい動揺してくれるのかと思ったけど」 普段から私情を表に出すことなど全くない、完璧ともいえるロイの理性の強固さに、アクシアルは関心よりも呆れの強い口調で返した。 「どうして?」 振り返ったロイは、やはり普段と変わりなく冷静に、本当に素朴な疑問とでもいうようにアクシアルへと視線を返してきた。 「どうして‥って‥・・」 ロイの問い掛けに、アクシアルの方が言葉を失う。 「私は初めから、そのつもりでレイスの誘いに乗ったのだから。なにも驚くことじゃないだろう」 今度こそ、手加減なしに勝負を受けると。 現状の二人の力のバランスを考えれば、それはつまり、レイスを殺すことになる。 最初から覚悟していたはずだ。 だからもう、自分には嘆くことすら許されない。 喪失感も、絶望も、悲哀も、認めてはいけない。 残されたのは皆が縋るこの立場と、守らなければならない民と、あの男と対峙する運命。 必要なのはこの器のみ。 心など、最初から必要なかったのだ。 目が覚めると、全てが削ぎ落とされたような静寂。 泣いていることに気づいたけれど、それを気に掛けるほどの余裕はない。 耳に響く言葉。 『死んだぜ』 誰が? 『レイスなら死んだぜ』 レイスが死んだ? どうして 『 』 なんで 彼が 『 』 誰が 殺した? 『私は初めからお前など認めていないっ!』 っっ?! 『初めから大キラ』 ウルサイウルサイウルサイッッ!! 「やめろっっ!!!」 止まらない思考から逃れるように聖は叫んで頭を抱え込むが、傷を深く残す記憶は鮮明に繰り返す。 ───誰ガ、殺シタ? 『私は初めから、そのつもりでレイスの誘いに乗ったのだから』 ───誰ガ? 『なにも驚くことじゃないだろう』 ───ワタシ ガ 「ッッ!!!!」 驚愕に見開かれた瞳からは止めどなく涙が溢れ、同時に襲われた吐き気に聖は這うようにベッドを抜ける。 「・・ッ・‥・、・‥‥き‥っしょ‥」 瞳をきつく瞑り喉を遡る嘔吐物を辛うじて堪え、部屋を出てトイレへと向かう。 「・・な‥・ん、で・・・・」 よりにもよって。 『私は初めからお前など認めていないっ』 記憶の中で叫ぶレイスの言葉に涙が溢れ、絶望に視界が暗くなり聖は倒れそうになる身体をかろうじて壁に押し付けるように支えた。 敵である彼に期待できるものなど何もないはずで、それでもたった一言だけで全てを失ったような気さえする。 『これ以上思い知らされることが堪えられなかったんだっっ!!』 レイスの首を絞めた感触が指先に甦り、再び襲う吐き気に今度こそ駆け込んだトイレで、堪えきれなくなったそれらを吐した。 何を犠牲にしても、無くしたくないものだったはずなのに。 「・・イ‥ヤ‥・ッ・、だ・・・・」 自分がこれだけ分かっていて、ロイが分からないはずがないないのに。 レイスという存在が、ロイにとってどれほどの割合を占めていたか。 彼にどれほど、支えられていたか。 「・‥ッ‥・・・ハッ、・・・・ぅっ・ゲホッ・・・・は、ぁっ・・・・・」 夜食に口にしたものを全て吐き出して、それでも治まらない嘔吐感に胃と喉が悲鳴を上げる。 それらを無理矢理に我慢して汚物を水で流すと、聖はトイレから出てすぐ隣の洗面台で乱雑に口の中を濯いだ。 胃の中に何もない以上、原因としては精神的な要因だけで、ならば気を逸らすためにも出来るだけ早くこの場を離れたかった。 「・・レイ・ス・‥、嫌‥‥イヤだッ‥・・・レイ・!!」 喪失感に窒息する。 憎まれていると分かっているのに、それでも…それ以上に耐えられないこの気持ちを、何故思い出してしまったのかとすら悔やんでしまう。 どうしてずっと、忘れていられなかったのか。 ・・・どうして、忘れていられたのか。 ロイの想いに引きづられて、自分が誰かも見失ってしまいそうで、聖は寝室へと駆け戻った。 ベッド脇のサイドテーブルに預けていた携帯電話を手に取る。 とにかく名前を呼んで欲しくて、電話を掛けようと開いたディスプレイに表示された時間に、一瞬だけ働いてしまった理性を恨むように、聖は携帯電話をベッドの向こうへ投げつけた。 表示されていた時間は、深夜三時を回ったばかり…普通の人であれば眠っている時間である。 崩れるように床へと座り込み、上半身だけをベッドへ預けるように突っ伏して、止まらない涙をやり過ごすどころか、幾度となく脳裏を焼く映像と言葉に、どうすればこの気の狂いそうな状況から抜け出せるのかも、もう見当もつかなかった。 コンコンコン 閉め忘れたドアを、それでも律儀にノックする音。 「入ってくんなっっ!!」 とっさにそう叫ぶ聖に、入り口により掛かるように立ったままのアクシアルは、小さく息を吐いた。 聖の意志を尊重し、一応部屋に入ることはしなかった。 「別にオレを頼れとか言うつもりはないけど、だったらなんであいつに連絡しないの?そんな状態で人のことまで気に掛けてる余裕ないだろーに」 呆れたような語調で、けれど馬鹿にしている風ではなく。 「……………うるさい」 言われなくても、今の自分には余裕の欠片もないことくらい分かっていた。 本当は、透夜に助けてもらいたかった。 いつもなら…ロイの夢は起き掛けに見ることがほとんどで、もう少し朝に近い時間なら、躊躇わず電話を掛けるのだけれど。 一度気づいてしまったら、もう、動けない。 「‥‥‥もうちょっとくらい自分に優しく生きたら?」 溜め息混じりに告げられた言葉は、涙を余計溢れさせた。 「‥‥・・・あんたの、言葉が‥耳を離れない」 「‥‥‥え?」 ぽつりと呟かれた言葉を取り損ねて聞き返すアクシアルに、聖は振り返ると、どうしようもなくなった感情を彼へとぶつけた。 「『レイスなら死んだ』って言ったお前の言葉が頭を離れないっっ!?」 「っっ?!」 言葉に瞳を見開くアクシアルに、聖は更に続ける。 「本当に生きてんのかよっっ!!だったら何であんなこと言ったんだっっ!?」 「ちょっと待て」 「入ってくるなっっ!!!」 思わず乗り出した身を拒絶され、アクシアルは必死に当時の記憶を呼び起こす。 「アルが言った言葉が耳を離れない‥…あの時あの人の、レイスの首を絞めた時の感覚が今もこんなに指に甦るのにっ、生気の抜けた土色のレイスの顔が頭に焼き付いてっ、ッッ!!!」 鮮明に甦る映像に再びこみ上げる嘔吐感に、聖が俯いて口元を手で覆うのを、アクシアルは舌打ちして部屋へと駆け込んだ。 「我慢するなっ、いいから全部吐き出しちまえ」 とっさに部屋の隅に置かれていたゴミ箱を取って聖の元へと駆け寄ると、身体を支えながら背をさすってやる。 しかし既に空の状態である胃からはせいぜい体液が這い上がる程度で、いっそ内臓すら吐いてしまいたいほどの不快感に聖はきつく瞳を瞑った。 |
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