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錠の下ろされていたドアを破り進入してきた兵達は、室内のあまりの惨状に言葉を失った。 屋敷の主立った面々の死体が、部屋の至る所に無造作に転がる中、その奥に唯一の生存者であるロイだけが壁に身を預けるようにして立っている。 返り血とも自分のものとも分からぬ血に身を濡らし、部屋へと進入してきた兵に構う気配もなく俯いたまま。 「クスカ様っ?!」 兵の一人が上げた声に兵達の視線が一斉にそちらへ注がれ、自分達の主人であるクスカも既に亡き者であることに、更なる驚愕を覚える。 「・・・貴様が、やったのか」 一人で相手にできるとは到底考えられない人数に、しかし密室だったはずのこの空間で、ロイ以外の顔ぶれは全てこの屋敷の者達である。 「聞いているのか!」 沈黙を返すロイに視線が集中する中、一人の男がロイへと近づこうと足を踏み出すと、ロイが手にしていた剣がチキリと音を立てた。 「……………近寄るな」 俯いていた顔が僅かに上げられ、乱れた髪の隙間から紺碧の瞳が射殺すほどの強い光で睨み返す。 その絶対的な迫力に、その場にいた者は皆、背筋を凍りつかせた。 後込みする兵達の動きにも隙を与えぬよう神経を研ぎすませ、しかし体調はといえば立っていられるのが嘘ではないかと疑いたくなるのが本音なほど最悪だった。 「・・・何者だ。この状況を説明しろ、お前が殺したのか」 再び浴びせられる問いにも、既に応じるほどの気力は残っていない。 辛うじて高熱に寒さを訴える身体の震えを押さえるのが関の山で、兵の声はどこか遠くに感じる。 「……………聖龍の、皇子じゃないか?」 ふいにその場に居た誰かが呟いた言葉にざわめきが起こった。 「まさか‥城の第一王子が、どうしてここに」 動揺が広がる空気にロイは不快感を覚えたが、直後兵達に起きた異変に僅かに瞳を開く。 「おい、どうしたっ」 廊下の者達から気を失うようにバタバタと倒れ始め、それが徐々に室内の兵にも広がっていく。 「何事だ?!」 不可解な恐怖と焦りに声を荒げた者達も、やがて他の者達同様意識を手放し、その場に崩れた。 「・・・‥な‥んで‥」 近づく人の気配に、ロイは今度こそ瞳を見開く。 驚きに顔を上げた拍子に張りつめていた緊張のバランスを崩し、限界を越えていた身体が壁伝いにズルリと下がった。 どうにか手を付き直して、上体だけを支える。 「相変わらず、お前の立場は厄介事を引き寄せるらしいな」 部屋の有様に目をやりながら入ってきたレイスは、言いながらロイへと近寄ってきた。 確かに夢魔の力を有する彼であれば…しかもレイスほどの力の持ち主であれば、末端の兵達に抵抗の余地もないのは頷ける。 ロイにとって、問題はそんなことではなかった。 「‥‥・どぅ・し、て‥・・レイス・・が・・」 クスカ達と手を組むなど、彼の性格上どう転んでも有り得ない。 まして、今目の前にいるレイスからは、邪心や悪意などの類は一切感じられず、寧ろロイが知りすぎているほどよく知った、穏やかな空気を纏っている。 「たまたま近くまで着た、そのついでだ」 「・・嘘、だ・‥‥」 心の底では期待してしまう己を叱咤しながらも、レイスの言葉が真実でないことは容易に分かってしまう。 集中力を欠いた意識に、気力だけで支えていた身体中の神経が悲鳴を上げ始め、それらを立て直せないまま手にしていた剣を落とすと、ロイはその場に座り込む。 「分かっているならいちいち聞くな」 レイスは側までくると視線に合わせるように膝を付き、微かに震えるロイの肩を抱き寄せた。 「無茶ばかりすればいいというものではない」 ほんの僅かずつ、レイスの治癒魔法により全身の傷が癒されていくのを感じ、ロイは堪らなくなって瞳を伏せた。 魔族は使えないはずの癒しの魔法、けして強いものではないけれど…それをレイスへと教えたのは、他でもないロイだ。 「・・・ッ・‥、‥・・レイ・・」 どうして、一番支えて欲しいときにレイスはいつも側に居るのだろうか…縋りついてしまいたい衝動を必死に押し殺しながら、ロイは顔を見られないように俯いて。 「‥‥・・・ごめん。いいよ、もうすぐ勢が皆を連れてきてくれるはずだから。あまり…甘やかさないで‥‥‥」 当たり前のように毎日会っていたあの頃とは違うと分かっている。 今は確かに敵同士で、レイスがここへ着たこと自体、彼に迷惑を掛けることに繋がるはずだ。 それでもレイスが駆けつけてくれるのは、きっと…。 きっと、自分が一人で立つにはあまりにも弱い人間であることを、彼だけに教えてしまったから。 「城の者達と合流して…それでどうする?」 「………城へ戻るよ」 「手引きした者が居ると分かっているのにか」 言い当てられ黙り込むロイをよそに、レイスは手袋を外すとロイの熱を確かめるように額へそっと触れる。 「お前のことだ、誰が裏切っているかも検討がついているのだろう」 「‥……それでも、私にはあそこしか帰る場所がない」 どこか諦めたような口調で言うロイの両頬を手のひらに包むと、レイスは有無を言わせずロイの視線を自分の方へと向けさせた。 「二人で居る時くらい、本心を聞きたいのだが」 少し責めるような意味合いが滲んだのは、立場を重んじてすぐに自身の気持ちを封じようとするロイに、昔からレイスが気に掛けていたことだから。 少しは気持ちを曝すことを覚えたと思ったそれが、実は自分と二人きりの時だけだったと分かったのは、地下牢を逃れ外の世界から改めて彼と向き合ってから…そう、割と最近の話だ。 困ったように…苦しげに表情を歪めるロイに、それでもまっすぐな視線を向け続ければ、ロイは観念したように口を開いた。 「……‥レイが、いなくなって…クラリスが‥いなくなって、今は宮もいない。信じられる人が、誰もいない・・・」 幼少の頃より側に仕えていたクラリスは、レイスの一件で責を問われて今は城にすらいない。 後任のイスタは今回の一件を手引きした張本人だった。 「こんなんじゃ駄目だって‥分かってる。けど…‥レイ、と‥・・離れてから・・私は、私が嫌いになるばかりで・・・・また昔みたいに、なったら・・駄目なのにっっ」 周囲から向けられる落胆の瞳、祭り上げて都合の良い飾り物にしようとする者たち、自分の存在価値を見出せなくて、けれど泣くことも許されず、どうすることも出来ない自分が嫌いで。 もがいていた自分を救ってくれたのは、レイスだった。 自分の価値は他人に与えられる物ではないこと 努力の仕方はいくらでもあること 誰かに頼ってもいいこと 自分の意志で動くということ 全部、教えてくれたのは───── 「‥・ぃた・かった」 溢れ出た涙に視界がぼやける。 抱きつきたい衝動と、もうそんなことすら出来なくなった不器用な自分と。 辛うじて延びた指先がレイスが身に纏う衣服の端を捕らえた。 「会いたかった、レイスにっ‥・・会いたかったんだっっ!?」 苦しげに告げられる言葉にレイスは驚いたように瞳を僅かに開くと、やがて吐息に笑みを載せてロイを優しく抱きしめた。 「もっと、違う言葉を予想していたのだがな」 宥めるように背を擦る手に、けれど涙は余計に溢れるばかりで。 もうずっと長いこと目を逸らし続けてきた自分の本心、言葉にすることで…成就することで、息が詰まりそうなほどの苦しさが消し飛んでいくのが分かる。 当たり前だった日々。 戻れない過去。 例え今が一時のものでしかないとしても、現実であるならば・・・。 「何であんた本気で戦わないの?」 人混みから離れた場所から、遠巻きに試合の様子を眺めていたロイの元へまっすぐに近寄ってきた少年は、警備の者が止めるのも聞かずに不服そうにロイへと疑問を投げかけた。 歳はロイと同じ頃…ロイが十三歳だから、彼もきっとそれくらいではないだろうか。 「いい加減にしないか!身分をわきまえなさい」 至近距離まで近寄る直前で警備兵に取り押さえられて尚、まっすぐに向けられてくる視線に、ロイは困ったように笑う。 「放してあげて下さい。知っている人ですから、大丈夫です」 ロイは彼を知っていた。 有名な武器商の息子、以前城に来た父親の助手として、共に謁見の間に現れたのを遠巻きに見たことがある。 「あなたは、私が試合で手を抜いていると?」 座っているロイは、結果的に見上げることとなった視線で、静かにそう言葉を口にした。 「本当のことだろっ」 頬を膨らませる仕草はまるで子供で、しかし剣の腕は大の大人を相手にしても引けをとらない程らしい。 (………とてもそう見えないけど) それはあくまで〈外見からは〉という話で、事実彼の強さが本物であることは分っていた。 「‥‥‥私からも、質問してもいいですか?」 子供相手ではあったが、元々が素直に答えるような性分ではなく、あえてそう言葉を返した。 「なっ、何‥だよ‥…」 少年はこれまでロイと言葉を交わしたことはなかった。 王族であるロイが、一体自分なんかに用があるのかと首を捻る。 「あなたはどうして、ご自身の立場を公表しないのですか」 「えっ、立場‥って‥・・っ?!」 言葉の意味を取りかね、しかしロイの視線が自分ではなく肩に停まったドラゴンへと真っ直ぐに向けられていることに気づく。 驚いた表情のまま、言葉に詰まった少年…トーヤに、ロイは静かに笑みを返した。 「答えたくないのであればそう言って頂いて構いません。基本的に個人意志に任せるべきだと思っていますし」 その場に居た他の者達は状況を把握していなかったが、ロイは気にせず話しを続ける。 「それとさっきの質問ですが、私は試合に手を抜いているつもりはありません。あなたの思い違いだと思いますよ」 あまり強くないんです…と、苦笑混じりに話すロイに、しかしトーヤは首を縦に振ろうとはしなかった。 ただ、自分は質問に答えなかったという負い目からか、それ以上問いつめる気配もない。 それでもこの場を動きそうにないトーヤの様子に、ロイは困ったという風に息を吐いて。 「………仮に私が嘘をついていたとして、本当に手を抜いた戦いをしていたとしたら、何かあなたに不都合でも?」 「……………オレ、あんたと対戦するの楽しみにしてたんだ」 ふてくされたように視線を外し、それでも呟かれたそれが本音らしい。 聞き出してみれば至極単純な理由に、ロイはやれやれと溜め息を吐いた。 「今日の勝ち抜き戦で、私はあなたとは区画が違いますよね?決勝まで勝ち進まない限り対戦できませんけど」 ロイの言葉に、その場に居た兵達も流石に苦笑を漏らした。 ロイの本日の成績といえば、三回戦敗退。準決勝にもとどいていない。 「分かってるよっ!けどっっ」 皆の視線に堪えられなくなったのか、それ以上言葉を続けることはなかったが、ロイへと真っ直ぐに向けられた視線は確かに告げている。 ─────あんたなら絶対上がってこれたはずだ!! 次の瞬間、トーヤにだけ分かるように返った凍り付きそうな程冷めたロイの視線に、トーヤは身体を強ばらせ、しかしすぐに先ほどまでの笑顔へと消えたそれは、幻ではないかと疑いたくなるほどだ。 今度こそ肩を落としおとなしくなったトーヤに、ロイの側に控えていた男…イスタが宥めるように声を掛けた。 「済まないが、この方はそれほど暇ではないのだ。皇子様も、徒に期待を煽るものではありませんよ」 「はぁーい。ごめんなさい」 イスタの言葉にロイがわざとらしく謝ると、トーヤはなんだか自分が酷く情けなく思えてきた。 「‥‥・・・分かったよ。もういい」 肩を落としすごすごと去っていくトーヤに、護衛兵達が慰めるように肩を叩いている姿が次第に遠のいていく。 「………彼はどうしてあんな勘違いをしたのでしょうか」 トーヤの背を見つめながら、不思議がるように言うイスタに、ロイは世間話のように軽く流した。 「さあね。でも有名じゃないですか?武器商ヤンの息子の中に、同世代の中でも一際純粋で思い込みの激しい子供が居るって。多分彼のことですよ」 「……………皇子様、またそのような噂ごとに耳を貸して。どうせ侍女達の話しでも」 「あっほらっっ、向こうで呼ばれてますよ!お仕事ご苦労様っ」 小言の始まりそうなイスタに、ロイはわざとらしく話しを逸らす。 イスタはまだ言い足りない様子ではあったが、実際に彼を呼んでいる大臣が居たらしく、すぐに戻りますからとだけ告げると渋々その場を離れた。 ロイはいかにも愛想良く手を振って彼を追い払うと、今度こそやれやれと息を吐いた。 それから、それまで肩の上でおとなしくしていた自身のドラゴンの頭を撫でる。 「宮、お願いがあるんだけど」 「トーヤ様、ですか?」 自分の分身ともいえる宮は、流石に察しが良い。 「感覚が鋭いのは褒めてあげたいけど、あそこまで大っぴらだと困りものだよね」 思い出すと、やはり流石に苦笑してしまう。 「炎の皇子を名乗らないのは父親の仕事が好きなのと、家族と居たいからなんだってさ。いいね、平和そうな家族だよね」 城を訪れた時の印象は、割と強く残っている。 真剣に、父親を尊敬している…そんな瞳をしていた。 すぐに勢が選んだ相手だと分かったけれど、そっとしておきたいと思ったのも確かだ。 「さっきの謝罪と、あとは秘密厳守を前提の話であることを伝えた上で、約束できるようなら伝えてきて。もしも今日の試合でトーヤが優勝することができたら、私と対戦したいと言ってくれた彼のために後日時間を取ってもいいこと。本当に私の強さが彼の想像した通りかどうかは保証できませんけど、それでも良ければ本気でお相手させて頂きますって」 「………本気で、ですか?」 少し驚いたように返る言葉に、ロイは楽しそうに笑う。 「あの程度の試合でちゃんと見抜いてくるくらいなら、少しくらい本気を出しても大丈夫じゃないかな。私も丁度手合わせをしてもらえる相手を探していたしね…クラリスがいなくなってから困ってたから」 ロイの話に宮は少し困った様子で金色の瞳を細めたが、あえて言葉を返すことはせずに翼を広げて飛び立った。 「トーヤならきっと優勝する、私も楽しみにしているって。宮、よろしくね」 「かしこまりました」 ロイの言葉に大きく頷くと、宮は人混みの方角へと飛んでいった。 宮の伝言に、果たしてトーヤはどう答えるだろうか。 恐らくさっきのことは怒っているに違いない。そしてロイの誘いを不思議がるだろう。 けれど、きっと宮が彼をその気にしてくれるはずである。 (宮は私に甘いから) 久しぶりにできた楽しみに、ロイは小さく笑みを浮かべた。 「おや、宮はどうしました?」 言いつつ戻ってくるイスタに、ロイは折角の気分が萎む思いを隠すように、私情を心の奥深くへとしまいつつ子供らしい無邪気な笑顔で振り返った。 「やはりここからでは試合が良く見えないので、代わりに近場で見に行ってもらいました」 ロイの言葉にイスタは深々と溜め息を吐く。 「皇子様、王族に仕えるドラゴンは主人を守るという大切な役割があるのです。庶民のように簡単に自分のドラゴンを側から離れさせてはいけません。まして貴方は皇子のお立場…宮はそれこそ普通のドラゴンではないのですから」 「すいません。でも、イスタが居てくれるから問題ありませんよ」 反省している様子などは殆どなく、しかし無邪気に返された言葉にイスタは小さく咳払いをすると、仕方ないという風にそれ以上言葉を続けることはなかった。 クラリスに代わりロイの側近となったイスタこそが危険な人物であることを、ロイはこの時まだ気づいていないフリをしていた。 |
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