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◆◆◆◆◆



鮮血に染まる彼の身体を目にした途端、何も考えられなくなった。
刃を交えたのは初めてではなかった。
けれど、レイスにこれほどまでの深手を負わせたのは、初めてだった。
『これがお前の答えかっ!ロイっっ!?』
 ソレハ 違ウ
だけど。
答えられずにいるロイに、レイスは苛立ちを隠そうともせず怒鳴りつけた。
『私はお前の本心を聞いている!』
アクシアルの腕に押さえ込まれながら、それでも必死とも言える風体でレイスが叫ぶ。
出来ることなら耳を塞いでしまいたかった。
こんなに大勢の人がいる場所で、胸の奥に秘めた思いを告げられるはずはないのに。
『他の誰でもないこの私がっ、お前に聞いているのだっ!!』
それは、卑怯だ。
 貴方ノ求メヲ無視デキルハズ ナイノニ
それでも答えらることがない。
『答えろっ!今此処で!!』
 ソノ問イニハ 答エラレナイ
知っているくせに。
『何度問われても、私の答えは変わらない』
カラカラに乾いた喉から発せられた言葉は、自分で呆れるほどに冷静な音を発していた。
たった一人でも第三者が側に居たならば、聖龍王としての仮面を外すことができないことも、貴方は―――――
 知ッテルクセニ



◆◆◆◆◆



「まったく、いつ来ても忙しそうだな、お前さんは」
「これでも今日は少ない方だよ。報告はシヴァに伝えるよう指示したはずだけど?」
部屋に入るなり呟いたシンシアに、ロイは手元の書類から視線を外すことすらしない。
「それはもう済んだ。一ヶ月ほど陰すら見ない友人を心配して寄っただけだ」
迷路のように入り組んだ城内も、ロイの執務室へ続く順路だけはすっかり頭に入っている。
それもこれも、個人的な付き合いにはすっかり無精になっているロイのおかげなのだが。
「それはどうも。けど、あまり私に構っているとトーヤが妬くだろう」
いくつもの書類にまとめて判を押し、別の厚い書類を手に取りがてら、ロイの視線はようやくシンシアへと向けられた。
「うっさい、あんなん放っとけ。あたしはロイのが大事だ」
とても恋人に向けられたとは思われない言葉を口にして、シンシアはわざとらしく舌を出すと我が物顔でお茶の準備を始める。
「傷はもういいのか?」
ついでにロイの分まで用意しながら、何気ない口調で話しかけた。
「お陰様ですっかり完治したよ。そろそろ鈍った身体を動かしたいところなのだけどね、シヴァがここぞとばかりに仕事を持ってくるので身動きが取れない」
言いながらうんざりしたのか、手にしていた書類を机の上へと放ったロイに、シンシアは呆れた視線を投げる。
「………そりゃまだ完治してないってこったろ」
そもそもロイに安静と言い聞かせたところで、おとなしくしていない性格をシヴァが理解していないはずがない。
シヴァのことだから、せめてロイが動き回らないようにと、間接的に机に縛り付けているのだろう。
「信用ないね。なんなら傷があったところを見てみるかい?」
差し出されたカップを素直に受け取り、無邪気な笑顔で笑い掛けるロイに、シンシアはうんざりと首を横に振った。
「意味のないことはしない主義なんでな」
表面上であればこの男が治癒魔法で簡単に傷を消せることくらいとっくに承知で、そんな無意味な話をしても仕方がない。
ただ、魔法で治癒を繰り返した場合、身体への肉体的な疲労は加算されることになるのだから、それはあくまで応急処置の部類にしか入らないのだが。
立場的に倒れることも許されないと考えているらしいロイは、どうもその辺りのバランスを無視した生活が目につくのだ。
「シヴァからお許しがでるまでおとなしくしてな」
そう結論づけて、シンシアは自分の煎れたお茶に口をつける。
しかし、ロイは変わらぬ笑みを浮かべたまま、さらりと確信に触れてきた。
「そのつもりなら、シンは私の元を訪れないのではないのかい?」
 ゴックン。
危うく気管に入りそうになったお茶を盛大に喉を鳴らして飲み干すと、シンシアはぜーはーと息を吐いた。
「大丈夫?」
「・・おっ‥前、なぁ‥っ…」
ロイからは相変わらずの笑顔で声を掛けられ、シンシアは恨みがましい視線を投げる。
(………こういうヤツだった)
今のは絶対タイミングを計っていたに違いないと思いつつ、普段の猫かぶりについつい忘れがちになるロイの底意地の悪い本性を改めて再確認した。
これに本気で想いを寄せているサーラのことを思うと些か心情を疑うが、その昔は自分もうっかり憧れていた時期があるだけに人のことをどうこう言える立場ではない。
シンシアは仕切り直すように咳払いを一つして、真面目な顔つきに戻るとロイへと向き直った。
「あんたのことだから、どうせ検討ついてんだろ?」
「まあ、大凡はね」
言いつつ厄介そうに苦笑を漏らす。
「今更だろうが一応お節介だ。‥‥…レイスの件だけど」
その名を口にしてもロイの反応は変わらず、やはり予想の範囲内の話題だったようだ。
「あたしはロイの考えに逆らうつもりはないし、シヴァもついてるから助言なんて必要ないかもしれんが…この前の一件以来みんなの緊張が高まりすぎてる。今度あの男が行動を起こしたら、あたしに連中を押さえるのは難しいだろうよ」
「だろうね」
興味のなさそうな声音で返る言葉に、シンシアはやれやれと肩を竦めた。
「今までだって散々領土内を荒らされてるけど…そろそろ身近な連中にも犠牲が出るかもよ。あの王子様も無駄に力が有り余ってるからな」
後半は冗談混じりのシンシアの言葉に、ロイは深く溜め息を吐くだけで、返事らしい返事は返ってこなかった。
「みんなとっくにあんたとレイスがただの顔見知り程度じゃないことくらい気づいてる。それはお前さんだって分かってるんだろ?」
口調は穏やかだったが直接名指しで迫られ、ロイはそれを流すように瞳を伏せる。
「……………だったら?」
「どうしてもみんなに話せないような事情なのか?」
あれだけ民を苦しめ続けるレイスを、捕らえるでもなく討伐するでもなく、せいぜいその場から追い払うくらいしかしないロイの態度は、普段の…完璧な仕事ぶりの彼を知る者であれば疑問を感じるのは当然で。
レイスの側にしても、ロイを特別視していることは明白だった。
「話してどうするというんだ」
ただ、ロイは頑なにその事実を誰にも話そうとはしない。
「事情が分かればみんなだって少しくらい理解を示すかもしれないだろ。どのみちあの男と対峙することだって容易じゃないんだ、冷静になるきっかけになるかもしれない」
「一時の気休めにしかならないよ。皆を止められたところで、私はレイスを止める術を持っていない。双方が収まらなければ意味がない」
なにより、他の誰かに彼との時間を話すことなど、ロイには考えられなかった。それは同時に自身の全てを露見してしまうことに繋がる。
ロイの変わらない態度に、予想はしていたもののシンシアは呆れざるをえない。
「だったらどうすんだよ。犠牲が出るまで放っておくのか?あいつらはロイが傷つけられるのを見るのが嫌なんだぜ」
シンシアの言葉にロイは表情を曇らせ、視線を手元のティーカップへと落とした。
自身に周りの者が情を掛ける事自体を不要と考えてはいても、そのせいで皆に負担を掛ける羽目になればやはり心苦しさは拭えない。
「どんな事情があるか知らないが、お前さんが強く出ないと分かっていていたぶるようなやり方をするレイスが許せないんだ」
それはシンシアの思いでもあるように告げて、しかしロイにとっては彼の話自体がタブーであることに、シンシアはそれ以上を追求することはしなかった。
「………すまない。頭では分かっているのだが」
沈んだ声音で呟くロイに、シンシアは励ますように肩を軽く叩いた。
本当は既に打つ手はないことは、分かっていたけれど。
今のロイには、時間を稼ぐことくらいしかできなかった。

 
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