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◇◇◇◇◇



普段であれば夜間稽古の時間。
先ほどまでメールや電話を頻繁に着信していた携帯電話が急に大人しくなったのは、多分そのせいだ。
顔が広く付き合いの多い透夜だったが、生活にけじめをつけている彼がこの時間に応対がなくなるのは、友人間でも周知のこと。
稽古ができないことには落ち着かなくもあるが、流石に今の体調では自宅にいても変わらないだろうと思い直して、師範である父に心の中で謝りつつも、ようやくゆっくりできると息を吐いた矢先のことだった。
鞄にでもしまおうと思った携帯が、再度の着信を知らせる。
珍しいなと思いつつ、ディスプレイに表示された名前に透夜は慌てて電話を取った。
「もしもーし」
口調はあくまで普段と変わらずに。
『‥‥‥・・あれ、間違えた』
思っていたよりも明るい声音に内心ほっとしつつ、開口一番の言葉に苦笑を漏らす。
「誰と?」
『貴志に連絡する約束してたんだけど…』
どこか呆けたような口調。
「ひーさん、寝起き?」
『えっ‥・・う、うん』
言い当てられたことに驚きと恥ずかしさが混ざったような声で、聖からは答えが返る。
「今葛乃部の家にお邪魔してるし、電話代わろうか?」
『ご、ごめん…そうしてくれると助かる』
申し訳なさそうに言う聖がなんだかおかしかった。
「普通間違えんと思うがな」
透夜は笑いながら言って席を立つ。綾奈のことが気に掛かったが、相変わらず眠り続ける彼女に変化はなく、すぐに戻ってくることを思って部屋を後にした。
『普段電話なんてお前にくらいしか掛けないし、それに・・‥』
言い掛け、しかし聖はそれに続く言葉を飲み込んでしまう。
「………なにさ?」
『な、なんでもない』
不服げな透夜の声に、聖は申し訳なさそうな口調で、それでも白状する気配はなかった。
透夜は小さく溜め息を漏らすと、どうしたものかと思考を巡らす。
「………ひーさん、元気?」
『え‥‥………うん、なんとか』
少し考えてから返った言葉は、苦笑と共に。
「パンクする前に自己申告しなさいよ。透夜くんが聞いちゃるから」
普段だったら自己申告など待つまでもないけれど、今は側にいることができないから。
『ん、さんきゅ』
いつもと変わらずの透夜の気遣いに、聖は安心したように言葉を返した。
「つか、お前さん今何処に居んの?」
携帯から電話してくる辺り、家ではないだろうことを考え、しかし寝起きというならそれは気になる。
『どこって、えっとぉー・・‥‥ああ、これか。○○ホテル…で、いいのかな』
伝えられた一流ホテルの名に、理由を悟った透夜は軽い頭痛を覚えた。
普通の高校生には縁もゆかりもない高級ホテル、もちろん聖が自らそんな場所へ向かうとは到底考えられなくて。
「……………あの兄さんと一緒か」
『うっ‥・そうだけど。よく分かったな』
どうやら貴志の読みは当たったらしい。
「ま、いいや。変なことされないように気をつけるのよ」
半分呆れた…保護者ぶった口調で言う透夜に、聖からは不可解そうな声音が返る。
『なにそれ、どういう意味だよ』
「分かんなきゃいいっす。ちょっと待ってて」
一階のリビングに辿り着くと、透夜は聖との会話を止めて曇りガラスのドアを開けた。
てっきり貴志一人が居るものだと思っていた透夜は、静も居ることに少し驚きながらも振り返った二人へと笑い掛けた。
「葛乃部に電話、愛しのひーさんから」
おちゃらけて言う透夜に、しかし貴志は慌てて椅子から立ち上がると駆け寄ってきた。
「透夜さんの方に連絡入ったんですね」
手渡される携帯電話に「ありがとうございます」と頭を下げつつ、連絡の入ったことに安堵したらしい表情で言う貴志に、透夜は軽く笑い飛ばした。
「そ、聖くんはお馬鹿チャンだから」
既に貴志の手に渡った携帯電話の受話部から聖の怒鳴り声が聞こえてきたが、それに応える気など勿論透夜にはなく、寧ろそれだけ元気ならとりあえずは心配ないかと安心したりして。
後のことは貴志に任せて、透夜は通話のために少し離れる貴志に入れ替わるように静の前に腰を下ろした。
宿題をしている静の顔を覗き込んだ透夜は、大袈裟なまでに腫れ上がった静の目元に苦笑する。
「お前…随分酷い目してるな。マネージャーが泣くぞ〜」
日頃から静を可愛がっている水樹の姿を思い出す。
「委員長に泣かされたんですよ〜〜〜」
わざとらしく泣き真似をする静に、透夜はよしよしと頭を撫でる。
「でも、もう仲直りしたんだろ。仲良いじゃんお前ら。ハツミミ」
性格は違うが二人とも普段は割と冷静で、それが声を荒げて大泣きするほどの喧嘩をしたという割には、ギクシャクした空気は感じられない。
余程互いを認め合っていなければ、こうはいかないだろう。
「……………。先輩たちには負けますけどね」
優しく笑う透夜に、そろりと顔を上げた静は、にっこりと笑って返した。
「あぁ、オレはね。聖の保護者だから」
ちょっと違うのよ〜などと、透夜はわざとらしく溜め息を吐いてみせた。



◆◆◆◆◆



広い廊下ではち合わせた将達の背後から現れたアクシアルの姿に、ロイは背中を走る緊張を感じながら真っ直ぐに彼へと視線を向けた。
戦線を離れているはずのアクシアルの介入が、ルアウォールとの新たな契約によるものだということは分かっていたが、それは生け捕りにしたロイを将達に引き渡した時点で完了している。
その後ロイが逃げ出したとしても、アクシアルにとっては関係のない話だ。先ほど冗談のように将達に提案していた新たな契約を、結んでいなければ。
「幻滅したよ。お前ほどの男が、この程度の者達に大人しく使われているなど」
ロイの発言に、側に仕えていた勢がぎょっとした視線を向けた。
目の前に居る三人の将よりも、その後ろに傍観するように立っているアクシアル一人の方がよほど驚異なことは間違いない。
魔法力の回復はできたものの、根本的な問題であるロイの体調は悪化の一途を辿っており、とても彼と同等に対峙できる状態ではないはずだというのに。
「なにそれ、ケンカ売ってんの?」
ロイの意識が自分に向けられていることを喜々として受け止めたアクシアルは、しかし掛けられた言葉に口の端に笑みを浮かべたまま冷めた視線を返す。
「率直な感想を述べたまでだ。ルアウォールの片腕といわれるにふさわしいと認めていただけに、そんな小者に使われるなど苦笑を禁じ得ない」
無表情のまま挑発するように言葉を続けるロイに、扱き下ろされた相対する魔族等の表情が変わったが、それらを圧するほどのアクシアルの気配の変化に、無言のままその場を譲った。
「聖龍王様ってば、高熱のあまり頭イカレちゃったんじゃないの〜?この状況下でオレを敵に回すつもり?」
「……………」
皮肉げに告げるアクシアルの言葉にロイはただ冷ややかな視線を返し、ロイの態度にアクシアルは明らかに不機嫌な表情に変わる。
「撤回してくんないかなぁ〜、今の言葉。小者だろうが低脳だろうがなまくらだろうが、どんな相手だろうと相応の報酬さえ払ってもらえりゃ契約する…本来魔族ってのはそういう種族なんでね。あんたがそんなことも知らないとは思えないけど」
口調とは別に威圧的に謝罪を要求するアクシアルの視線に、しかしロイはより挑発するように小さく笑って返した。
「それは悪かったな。この者達がお前の技量に見合う報酬を用意するとは思えなかったのでね。だから告げただけだ」
「貴様っ、先ほどから言わせておけばっ!!」
「うるさいよ」
堪りかねて声を荒げた男をアクシアルの低い声が静かに制する。
振り向いた男は、滅多に見ることのないアクシアルの怒気に、息を飲み数歩後退った。
「確かにあんたの言う通り、あまり満足できる条件でもなかったんだけど。気が変わった、さっきの条件で契約してやるよ。二度と逃げ出せないように捕らえればいいんだろ」
「本当か?!」
唐突に転がり込んだチャンスに興奮する将達をよそに、ロイは口の端に笑みを浮かべる。
「そうそう、その言葉が聞きたかったんですよ」
追いつめられた状況下にあるはずのロイが喉の奥で笑う様は、その場に居た者達にただならぬ不気味さを伝える。
「………どういう意味?」
確かに、ロイが何の狙いもなく自分を挑発するような言動をするとは考え難かったが、その狙いが〈何か〉についてはアクシアルにも心当たりがなかった。
「・・・・・どんな相手であろうと相応の報酬さえ払えば契約すると言ったな」
真っ直ぐ視線を向けてくるロイに、アクシアルは不可解そうに眉根を寄せたまま頷く。
「では私もその交渉に割り込ませてもらう。アクシアル、貴方に契約を申し込む」
ロイのとんでもない発言に、驚愕した視線が集中する。
「なっっ?!」
「王っ!!」
ロイの言動に意見することのほとんどない勢ですら慌てて口を開いたが、ロイは視線をアクシアルに向けたまま腕を上げてそれを制した。
「‥‥…随分大胆な勧誘だな。そんな話、本当にオレが乗ると思ってんの?」
表情を消しロイの真意を探るように問い掛けたアクシアルへ、ロイは自信ありげに笑ってみせる。
「そっちの将達と未だ契約を結んでいないのなら不可能ではない。ルアウォールとの契約は先ほど私をこの者達に引き渡した時点で完了している、今お前は戦線に絡む契約はない…違うか?」
流暢に話される内容の正確さに、アクシアルはいつの間に知られていたのかと苦笑を漏らした。
「よくご存じで。確かに相手は選ばないとは言ったけど、ご主人とは王子の側仕えとしての契約が生きてる。そのご主人と敵対してるあんたの側につくなんて、オレにはリスクが大きすぎるとは」
「五十億セルク」
言葉を最後まで聞くことなく告げられたロイの桁外れな提示額に、皆言葉を失い呆気に取られる中、ロイは再度繰り返す。
「報酬が五十億、期限は三週間、依頼内容は私の護衛。リスクがあるのは承知している。が、けして悪い条件ではないはずだ」
「聖龍王っ、本気で言ってるんですかっ?!そもそもコイツが貴方を連れ去った張本人なんですよ!!」
いよいよ混乱したらしい勢が慌ててそう問いただすが、ロイは視線を軽く流す程度で。
「心配しなくても報酬は勿論個人資産だし、個人的な交渉だから誰にも迷惑は掛けない」
ロイの冷静すぎる態度は、かえって勢の不安を煽る。
「そうじゃなくてっ、オレは王が心配だから申し上げているんですっっ」
「不要な気遣いだ。それよりアクシアル、どうする?私は色良い返事を期待してるのだけどね」
更に反論しようとする勢を無視して、ロイは余裕の表情でアクシアルへと向き直った。
「ばっ、馬鹿な、そんな話に乗るわけがなかろうっっ」
「それは本人に聞いてみれば分かることです」
男の言葉に動じる様子もなく、ロイはまっすぐにアクシアルへと視線を向ける。
「人知を越えた力を持つといわれるルアウォールの側近として勤めた彼が、その宿敵といわれる伝説の聖龍王の側でも仕える…刺激的なことが好きな彼には魅力があると思うけれどね」
誰よりも貪欲な好奇心を持つアクシアルであれば、絶対にこの話に食いついてくるとロイは確信を持っていた。
アクシアルを気に入っているルアウォールが、彼の性格を把握していないはずはなく、この程度でリスクが発生することも考えがたい。
それでも確実に彼が誘いに乗ってくるようにと、法外ともいえる報酬を約束したのだ。
「‥・・・くっくっくっくっ」
口元に手を当て考えるように俯いていたアクシアルは、瞳を伏せたまま喉で笑い出す。
「お、お前っ…まさか、ルアウォール様を裏切るような‥…ことは………」
「あははははっ!!」
言いながらも後ずさりしていく同胞達を余所に、アクシアルは堪えきれないという風に大袈裟に笑い出した。
「まぁったく、よくもそこまで根性座ったもんだよなぁ〜♪くっくっくっ‥流石、独りで国護ってるだけはあるよ、あんた」
酷く上機嫌な瞳でロイへと視線を返し、余程楽しいのか笑いを堪えることすらやめたらしい。
「そこまで熱烈なお誘いを受けちゃあ、断るわけにゃあいかないわな。いいぜ、契約しようじゃないか」
「アクシアルっっ!!」
慌てて呼び止める男へアクシアルは嘲笑を浮かべ視線を流す。
「裏切るとか裏切らないとか関係ないでしょ〜。オレ別にご主人に忠誠誓ってるわけじゃないし?あの人とはあくまで契約を交わした仲、聖龍王とも同じように契約を交わすだけだ」
そんじゃね〜などと言って男たちにピラピラと手の平を振ふると、ロイの元へと歩み寄っていった。

 
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