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〔Z〕



脳裏に響いた最後の言葉。
全身をびっしょりと濡らす嫌な汗と、見開いた瞳から飛び込んできた見知らぬ景色に、暫くの間思考回路は断線したまま。
「やーっとお目覚め?」
掛けられた声に咄嗟に全神経を警戒させ、本能的ともいうべきか…飛び起きた身体は臨戦態勢に入ろうとする。
「ちょっ、聖‥‥どした」
不思議そうな声音で現在の名を呼ばれ、そこでようやく聖は我に帰った。
次に襲われたのは、どうしようもない程の吐き気。
加えて急に起き上がった身体は並行感覚すら持ち合わせず、無様に崩れそうになった身体にはタイミング良く手が差しのべられる。
しかし、今の聖にはそれすら拒絶の対象らしく、体勢を立て直すのに軽く触れただけで、後はその手を丁寧に退けさせた。
「………トイレか流し、近い方」
今にも崩れそうな身体を壁に預けることでどうにか支え、掠れた声でそう呟く聖に、アクシアルはやれやれと肩を竦めた。
「そこを出て目の前のドアが水場」
告げられた言葉に聖は壁を伝うようにしながら部屋の外へと向かい、言われた通りの場所へと向かった。
すぐに後を追うことはせずにその場に残ったアクシアルは、予想通りに聞こえてきた嘔吐する気配にとりあえず溜め息を吐く。
先程の様子からして、今暫く近づくことは拒まれるだろう。
そういえばロイも人に頼ることが殆どなかったことを思いだし、しかしロイだったなら相手が血族だろうが仲間だろうが親友だろうが、他人の前でなど意地でも平静を装うだろう…ただ一人、レイスという例外を除けば。
(ま、ありゃ意地とプライドで生きてたしな。捻くれ度でいったらオレですら負ける)
伝説とは程遠い正体を果たして何人が気付いていたかと考えれば、かなり笑える結果が出るに違いない。
こんな過去を懐かしむのも聖の存在が現れるまでは久しくなかったことを思い、アクシアルはそんな自分に苦笑を漏らした。
「アイツと重ねて見ているつもりはないんだけどねぇ」
それでも、気になり放っておけない事実は認めざるを得ない。
向かいの気配が静かになった事に気付き、誰ともなくやれやれと呟くと、ようやく寝室から出ていく。
部屋に備え付けられていた冷蔵庫へと寄って適当に飲み物を手に取ると、聖の元へと向かった。
口を濯ぐまでで力尽きたらしく洗面台の水は流れたままで、聖はといえば置かれていた椅子に座ったまま流しを避けるようにして脇へと突っ伏している。
とりあえず蛇口を締めると、アクシアルは聖の頭上へ持ってきたペットボトルを置く。
「またベッドまで運びますか?」
よそよそしい言葉使いに返るものはなく、しかし聖の目の前を移動していたアクシアルの手首は何やら唐突に掴まれた。
「何?」
病人を気遣う程度の優しさを匂わせる声音で問い返せば、漆黒の髪に隠れていた瞳がわずかに動いたのが分かる。
「……………レイスって、死んだの?」
予想だにしていなかった内容に、アクシアルは僅かに瞳を見開き、しかし小さく息を吐くと何でもなかったように言葉を返した。
「生きてるよ」
さらりと返った回答に聖の方が驚いたらしく、うつ伏せていた上体を僅かながら起こす。
「……………本当に?」
「ホントに」
繰り返される肯定の言葉に安堵し肩の力が抜けたようで、聖は再び上体を洗面台へ預けた。
そんな聖にアクシアルはしばし考えを巡らせ、やがて出た答えを確認するように聖へと問いかけた。
「ひょっとして。聖がロイのことを知っているのって…夢で見るから?」
聖の反応を伺うようにしながら問い掛ければ、コクリと小さな頷きが返る。
「順番も滅茶苦茶だしあちこち抜けまくってるけど」
聖の言葉にようやく今までの態度の変化に納得がいく。
「だから最初はあんなに警戒されてたわけか」
確かに、ロイが子供の頃は友人としての付き合いもなかった。
彼の噂とは掛け離れた性格と根性を知ってアクシアルからラブコールを送るまでは、完全に敵の地位にあったのである。
「それでも今までは大体同年代の頃のものだったし、そんなしょっちゅう見るわけでもなかったのに…ここ数日、急に大量に見るようになって・・・」
未だ気分が悪いのか聞き取るのがやっと程度の声で呟く。
「………オレたちがこっちの世界に踏み込んできたから感化されたってところだろうな。今も次元の穴は地龍の皇子が魔方陣で封じてるだけで、実際には貫通しっぱなしだし」
向こうに帰るにはあれを突破しなければならず、護りを得意とする地龍の皇子のそれは少し厄介ではあるのだが。
「………‥‥あんたは、何で…こっちの世界なんて来たの?」
それまで会話に対して受け身だった聖の、あまり予想していなかった問いに、アクシアルは少し考えるように沈黙を返す。
「……………なんでだと思う?」
結局当たり障りなくそう逃げたが、重たい動作で起き上がった聖の…ようやく向けられた視線が、躊躇わず答えた。
「俺を殺すためじゃないの?」
言葉に僅かに瞳を見開いたアクシアルは、不機嫌を露わに瞳を細める。
「何だよそれ・・・お前死にたいわけ?」
「別に。〈アクシアル〉の性格考えたらそうかと思っただけ。独占欲の強いあんたは、他の誰かがロイの魂を持ってるだけで嫌かと思って」
淡々と話す聖に、アクシアルから返るのは冷めた視線と無言だけ。
「幻滅しただろ、ロイの生まれ変わりがこんなんで」
視線を床へと落とし自嘲の笑みを浮かべる聖へ、不機嫌そうに表情を歪めたままのアクシアルは、数歩離れていた聖の元へと再び歩み寄る。
「だーからさぁー、初対面に近いような奴に行動パターン読まれるのはムカつくんだって」
言いながら、太くはない聖の首を片手で押さえつけた。
「なぁ、殺して欲しいの?」
力の込められた指は、しかし窒息させるほどの圧迫はないまま、正面から碧色の瞳が覗き込む。
「‥‥……別に」
「…ホントに?オレ今随分挑発された気がすんだけど」
アクシアルの冷めた語調に、聖は視線を避けるように瞳を伏せ、疲労の色が濃く現れた表情も隠すように俯いた。
「……………別に死にたいなんて思わないけど‥‥・疲れた。それだけ」
肉体的に…ではなく、おそらくは精神的に。
初めて会った時は聖龍王としての自覚すらなかった彼が、今は魔法を操り戦闘までこなして。
この短期間にどれほどのことを思い出したのか、顔を会わせる度に疲労度が増しつつも順応していく。
沈黙の中しばらく聖を見つめていたアクシアルは、喉元を捉えた指にはそれ以上力を入れることはせず、何を思ったのか瞳を伏せたままの聖へ口唇を重ねた。
驚き瞳を見開いた聖は、間近に迫った碧色の瞳と視線がぶつかる。
触れていたのはほんの一瞬で、首に触れていた指と共にすぐに離れたアクシアルは、わざとらしい笑みを浮かべる。
「ご馳走サマ」
そう言葉を掛けられてようやく、なんとなくではあったが何をされたのかを認識した聖は、不可解そうに表情を歪めた。
「・・・・なにすんだよ」
「べっつに〜隙があったから、なんとなく?」
何でもないことのように笑うアクシアルに、聖は口元を手の甲で拭うとふてくされたようにそっぽを向く。
そんな聖の態度にアクシアルは小さく笑うと、軽く息を吐いた。
「聖の言った通りだよ」
言葉に、ゆっくりと視線が戻される。
「お前を殺すつもりで来た」
真っ直ぐに、視線が返る。
「こんな…龍族と魔族との戦乱から隔離されたような異世界で生きてるような奴に、聖龍王を名乗らせるなんて許せないと思った。ロイはあんなに苦しんで辛い思いもして、それでも逃げなかったアイツに代われる奴なんてそうそう居て堪るか」
自分の想いに向き合うように瞳を瞑り、それでいて淡々とした語り口は彼が一時の感情に流されたわけではないことも、伝えて。
しかし、次の声音はいつもの軽くふざけたようなそれだった。
「でもなぁ〜‥・・平和呆けしてたのはオレの方だったみたいでね。隠居生活長いと感覚鈍っていけないって感じ」
「・・・・・?」
肩で大きく息を吐くアクシアルに、聖は訳が分からず困惑した表情で見上げた。
「その立場がそんな生易しいもんじゃないことなんて、オレはよく知ってた筈なのにな」
「‥‥‥…アクシアル?」
一人苦笑を漏らすアクシアルに、未だ話の展開が飲み込めないらしい聖はきょとんとするばかりで。
「アンタがあんまり幸せそうじゃないんで、毒気抜かれたってわけ」
「………あぁ、そ」
いまいち反応の鈍い聖に、アクシアルは再び苦笑する。
「ロイと重ねてるつもりはないんだけど…誰かに代わりが勤まるほど軽い存在じゃないし。でもやっぱ思い出しちまうんだわ、お前見てると‥‥‥ゴメン」
「・・‥別に、そんなの気にしないけど」
寧ろ人の思い出に土足で上がり込んでいるような自分の方が、余程申し訳なく思うのだけれど、それについて聖はなんとなく口にしそびれてしまった。
「まだ全然お前のこと知らないし、心が動くほど大切な存在になるかは分からんけど。とにかく今、死なせたくないくらいには思ってるんだな」
素直な気持ちを告白するアクシアルに、聖は少し驚いたように瞳を開いた。
「‥・・なん、で?俺、別に・・なにも・・・」
好き嫌いのはっきりした男だったと思う。許容範囲だって皆無に等しい、そもそも誰かを懐に入れるような行為は愚かだと言っていたのは彼ではなかったか…ロイの記憶でしかないから、それも古い話ということなのだろうか。彼の印象が余りに昔と変わらないから、時差を感じられないでいる。
「さっきの話も…別にオレ、聖のこと幻滅してないよ」
アクシアルの言葉に、聖は今度こそ信じられないというふうに視線を返した。
「昨日まで自覚なかったなんて嘘みたいに根性座ってるし…ちーと暴走気味だけど、まぁ昨日の今日なんで。頑張ってると思うよ、お前」
言葉はこれ以上ない程に嬉しくて、だけど。
同時に途方もない罪悪感が胸を絞めあげ、聖は苦しげに瞳を瞑って俯いた。
ロイの記憶を思い出すほど、アクシアルがどれだけ大切な存在だったかを思い出して、けれど未だ思い出せない〈何か〉が無性に彼への謝罪の念を募らせる。
「…‥‥聖?」
「‥・ごめ、ん・・・ありがとう」
表情を隠すように両手で目元を覆う聖に、アクシアルは眉根を寄せた。
「………何で謝る?」
静かに問うアクシアルの言葉に、聖はただ首を振ることしかできない。
何故こんなにも苦しいのか、理由に辿り着けずに。
「‥‥・・・思い出すから、絶対」
ただ、思い出して、謝らなくてはと。
「無理すんなよ。実際ロイは既に過去の人間だ、聖が昔を覚えていたことだって予定外だし、オレは強要する気もない。大体お前、思い出したくないんだろ?」
その問いに、聖は答えることはできなかった。今はとても〈聖〉の気持ちまで考える余裕はなくて、ただ漠然と罪悪感と焦燥感だけが酷い耳鳴りと共に精神を支配する。
まるで余裕の感じられない聖の様子に、アクシアルは小さく息を吐くと聖の頭に軽く手を置いた。
(……‥‥‥あ‥)
訪れる沈黙の中、流れ込んでくるアクシアルの力に、窒息してしまいそうな程に高ぶっていた感情が徐々に鎮静化していくのを感じる。
アクシアルの得意な心理誘導系の魔法は、時として酷く優しく安らぎをもたらす。
「追い詰めたいわけじゃないんだけど…何が起爆材になるか分からねぇな。つってもロイの知り合いが近くにいたらどうしたって刺激するか」
後半は殆ど独り言のように呟く。
「‥‥・・あの・も、平気。ありがとう」
申し訳なさそうに言ってゆっくりと顔を上げる聖に、アクシアルは口先だけで「どういたしまして」と返すと、離れる前に聖の頭を二、三度優しく撫でた。
「とりあえず、その体調じゃあ今日はもう動けないだろうし、泊まっていきな。何か軽く食べられるもの頼んでやるから」
言いながら、アクシアルは聖の携帯電話と名刺サイズの小さな紙を手渡す。
「や、あの、俺今食欲ないから」
アクシアルの言葉に、聖は少し困ったように顔を上げた
「また倒れたりしたら困るんじゃないの?ま、明日もここでおとなしく過ごすってーなら、構わんけど」
そんなわけにはいかないことくらい、聖は嫌というほど理解していた。

 
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