<< top novel >>
<< back next >>

◆◆◆◆◆



不快感に深い眠りに落ちることすらできず、疲労と衰弱に意識を浮上することもできず、ただ地べたを這いずるような最悪の感覚。
そこへ無理矢理に割り込んできたのは、液体だった。
働かない思考。しかし、口から、鼻から、耳から進入してくる淡水に、先にシグナルを鳴らしたのは酸素を欲する身体…無理矢理に意識を覚醒させる。
もがき逃れようとする身体を乱暴なほどに押さえつけられていることを理解し、両腕は背中で拘束され、魔法力も使えないところを見ると…恐らくは封じられたか奪われたか。
あらがう術もなく、再び意識が遠のきはじめた頃になって、ようやく水中から引きずり出された。
急激に取り込んだ酸素に噎せ返り、大量に飲まされた水をいくらか吐す。
「気付かれましたか?皇子様」
耳にまとわりつくような、不快感を煽る男の口調。
顔を見るまでもなく誰であるかを理解し、俯いたままのロイは口の端を吊り上げるような笑みを浮かべた。
「………何がおかしい」
ロイの反応に男は不快を露わに眉を顰める。
「別に・・・」
言って小さく喉で笑うと、ゆっくりと顔を上げたロイは年齢にまるでそぐわぬ冷徹な相貌を男へと向けた。
「いつかやるとは思ってましたけど、まさか本当に貴方がこれほど浅はかだったかと思いまして、クスカ殿」
言葉に表情を消したクスカが指を鳴らすと、ロイの背後に控えていた二人の兵が再びロイの頭を水の張った水槽の中へと押さえ込んだ。
体力の欠落した状態ではすぐに耐えきれなくなり、吐かされた息と引き替えに水を大量に飲まされる。
抵抗しても無駄だと解っているのに、それでも苦しさから逃れようと暴れる身体を疎んで、結局は体力を削られる結果を招く。
散々の責め苦からようやく解放されたときには、己の身体を支えることも叶わず無様に床へと崩れて激しく噎せ返った。
「自分の立場をよくわきまえろ。分かったなら口を慎むんだな」
投げつけられる言葉に、一瞬ギラリと睨み返したロイは、しかしそれもすぐに嘲笑へと塗り変える。
「その言葉、そっくりお返ししますよ。私にこんなことをして、許されるとお思いとは」
現状を理解しているはずがまるで余裕の表情を見せる予想外のロイの態度に、クスカは僅かに表情を引きつらせ、それを取り繕うように言葉を返した。
「強がりを言うな。お前など殺そうと思えばいつでも」
「貴方は私を殺せない」
クスカの言葉を遮りはっきりと告げるロイに、クスカは驚き瞳を見開く。
「殺すつもりなら初めからこんな場所まで連れてこないな…あの場でできたはずだ。国王の息子である私を拉うなど大罪。しかしその大罪を犯してまで、貴方は私から聞き出したい情報があるのでしょう?だから、その情報を得るまで殺すわけにはいかない」
言い当てられ身動きの取れないクスカの反応などまるで気にせず、ロイは言いながらようやくわずかに回復してきた体力に、腕を縛られたままの状態で…それでもゆっくりと上体を起こすことに成功した。
「聞き出したい情報というのも、どうせ〈永遠の泉〉の場所でしょう。身の程もわきまえず壮大な野心など抱いても、その身を滅ぼすだけだと思いますけど」
「このッ」
尊大な態度で嘲笑うロイに怒りを露わにしたクスカは、床に座らされているロイの元まで歩み寄ると感情にまかせて蹴り上げた。
「‥‥・ッ・・」
無抵抗のまま身を捩るように床に崩れ、伏せの身体を踏みつけられてロイは息苦しさに表情を歪める。
「分かっているなら話が早い。さっさと場所を教えろ」
「………本気で、不老不死が得られる泉が存在するとでも思っているんですか。いい大人があんな迷信を信じているとは、救い難いな」
威圧的に見下ろしてくるクスカに、ロイは冷めた視線を返し、哀れみさえ込めて告げる。
「……………どうやら、まだ立場を分かっていないようだな」
クスカは瞳を細め、そう呟くと加減なくロイを幾度も蹴りつけた。
「‥・っぅ・・、ゲホッ・・・」
熱のせいで鈍っている痛覚を幸運と取るべきだろうかなどと遠くで考えつつ、朦朧としてくる意識に反応すら返さなくなると、頭から水を掛けられる。
ぐったりとした身体を胸ぐらを掴んで無理矢理起こされ、野心に満ちたクスカの瞳がロイを捕らえた。
「シラを切るつもりなら無意味だ。世界中の占者がこぞって明示している」
「………汚い手で触れるな、下衆」
冷淡に侮蔑の視線を返すロイにクスカは数度殴りつけ、力なく崩れる身体を乱雑に突き放した。
「クスカ殿」
怒りが収まらずに足を振り上げたところを、壁際に控えていた男によって止められた。
「ただの育ちの良い子供だと思っていましたが、とんだ阿婆擦れですね」
ぐったりとしたまま動かないロイを見下ろし、クスカに替わって近寄ってきた男はやれやれと肩を竦めてみせる。
「ふんっ、城では猫を被っていたわけか」
男に同意するように、クスカも忌々しげに言う。
「さて、こんなところで気絶されては困りますね。意識がないなら再び水を浴びせますが、如何です?」
言葉にロイは僅かに瞳を開き、しかし憔悴しきっているのか視線だけが乱れた髪の合間から男へと向けられた。
魔導師エイレン、城で何度か見かけたこの男は、直接言葉を交わしたことはないが、いくらかの噂は耳にしたことがある。
クスカと違い、こちらの挑発になど惑わされる相手ではない。
エイレンはロイの側にしゃがみ込むと、彼を起こすでもなく話し掛けた。
「皇子様も、あまり大人をからかうものではありませんよ。子供は素直でなければ」
諭すように告げるエイレンに、ロイは興味なく瞳を伏せる。
「高熱で伏せっている子供を拉致して拷問に掛けるような大人の言うことなど、聞けません」
返った言葉にエイレンは困ったという風に苦笑を漏らした。
「素直に答えて頂ければ、手厚く介抱させてて頂きます。体調が芳しくないのですから、お辛いのでしょう?」
「………貴方とは話したくありません」
口調の変化と共に言葉に潜むように載せられた魔法力を、こんな状態でも敏感に感じ取っている自分に無駄に関心しつつ、エイレンとの会話をロイは一方的に絶つ。
「おや、どうしてですか?」
心外そうに返った問いにも、既にロイから返る反応はない。
ロイの無反応に、エイレンは僅かに眉根を寄せると、再び大げさに肩を竦めた。
「やれやれ、できれば手荒な事は避けたかったのですが、致し方ありませんね」
言って片膝を着くと、エイレンは片方の手をロイの頭部へ翳す。
「確かに、貴方の仰る通り我々は貴方を殺すわけにはいきませんが…逆を言えば、素直に答えて頂かない限り、死ぬことも適わないわけですから、解放される術はないということです。勿論、皇子様は十分ご承知とは思いますが」
言いながらエイレンはロイの意志を取り込もうと力を使い始めた。
「・ぅ・‥‥ッ‥・」
高熱で霞み掛かったロイの意識を少しずつ浸食していくエイレンの力は、まるで脳を直に押さえ込まれるような錯覚をロイへと与える。
「さ、永遠の泉の在処を話して下さい」
神経の一つ一つを押さえ込まれるように感覚を奪われ、次第にエイレンの言葉以外なにも届かなくなる。
「‥‥・っ、・・・・こと・わ、る・・・」
それでもロイは、後ろ手に拘束された状態の両手で拳をきつく握り、苦しげに表情を歪めながらもなんとか意識をつなぎ止めようと足掻く。
「………あまり抵抗されても困りますが。自我が崩壊しないうちに観念された方が御身のためですよ」
言いながら更に強くなる圧迫感に、抵抗するロイの意志との間で力が激しく競ぎ合うと、溢れた力はプラズマを作りロイの肉体をも傷つけ始めた。
「・・ッ・・‥う‥あああぁぁぁぁぁっっっ!!!」
神経が灼き切れるような錯覚と、魂ごと押し潰されるような圧迫感、全身を切り刻まれる現実的な痛み。
《・・‥‥‥王!》
それらを耐えることにもそろそろ限界に思え、徐々に薄れる意識の中、聴覚とは別の感覚が声を捉える。
《オレの声が届いたら応えて下さいっ!聖龍王!!》
今度ははっきりと響いた声に、ロイは手放し掛けた意識を辛うじて手繰る。
(‥‥・・せ、い・?)
《王!!ご無事ですか?!》
力を封じられているはずの自分が、どうして彼の…炎龍・勢の声を捉えることが出来たのか。
理解すると同時、瞳を伏せ僅かに残る気力全てを集中させて、ロイは詠唱し始めた。
「‥‥・・・皇子の、名において・・命じる」
「………何だと?」
ロイの言葉を取り損ね、不審げに眉根を寄せるエイレンをよそに、ロイは強い意志を載せた瞳を開き、続く言葉を口早に紡いだ。
「契約に従いその姿を現せ!炎龍・勢!!」
直後、ロイの額から凝縮された真紅の光が放たれ、威力をなくし奪われたはずの聖石が姿を表す。同時に彼を包むように舞い起こった風にエイレンの力は弾かれ、現れたドラゴンの姿にその場に居た誰もが信じられない光景に息を呑んだ。
「馬鹿なっ、ロイのドラゴンは眠りについているはずでは・・・」
現に、そのせいでロイは体調を崩し、それも今回が初めてではなく既に過去何度か伏せているのだ。
しかし、皇子とドラゴンを繋ぐと云われる聖石は出現し、目の前で人型を取ったドラゴンは確かに皇子だけが操ることの出来る特殊なそれに他ならない。
召喚されたドラゴンによって拘束を解かれどうにか体勢を立て直したロイは、至極端的に言い放った。
「全員殺せ。時間を掛けるな」
「御意」
 
<< back next >>
<< top novel >>