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◇◇◇◇◇



玄関を入ってすぐ、壁に寄りかかるように座り込んでいた静の姿が視界に入り、貴志は足を止めた。
「あ、お帰り〜」
貴志に気付き顔を上げた静は、人懐っこく笑う。
「………何してんの、お前」
「委員長のお出迎え」
にっこりと笑って答える静に、貴志はまともな回答を期待するんじゃなかったと脱力すると、玄関の鍵を締めて家に入った。
靴を脱いで家に上がる貴志に合わせるように静も立ち上がる。
「しっかし、都内にこんな大きな別宅持ってるなんて、流石大企業の社長さんは生活レベルが違うよねぇ」
心底感心したような口振りがいかにもわざとらしい。
冷ややかな視線を向けた後、盛大に溜め息を吐いただけで廊下を歩きだす貴志に、静は肩を竦めると後をついて歩きだした。
「運転手もいるくらいだし、もしかしてお手伝いさんとかもいたりして」
「………いるよ。何なら今度実家にも招待しようか?」
足を止めて振り返る貴志の目に圧され、静は笑顔をひきつらせる。
「あ、いや‥‥‥」
「心配してくれてるなら悪いんだけど、本気で疲れてるんだ。やらなきゃいけないことも考えなきゃいけないことも山積みだし…問題は何一つ解決できていないからね」
厳しい表情で告げる貴志の顔色は確かに疲れが色濃く出ている。だからこそ、全てを独りで抱え込もうとしている彼が心配で待っていたというのに。
「……………ごめん」
それでも結局は何もできない悔しさに、静は呟くと俯いた。
肩を落とす静の姿に、彼に八つ当たっている自分を自覚し、貴志は肩の力を抜くように深く息を吐く。
「悪かった。今のは八つ当たり」
言葉に躊躇いがちに上げられた静の視線に、貴志は申し訳なさそうに苦笑を返した。
「何でかな…お前相手だと顔が作れなくて素が出がち・・・」
廊下の壁に背をつき天を仰いで独り言のように呟く貴志に、静は再び視線を逸らす。
「………八つ当たり、してくれて構わないよ」
「・・・・・え?」
極小さな声で告げられた内容に、貴志は視線を静へと戻した。
「お前すごく疲れてるの見てて分かるし、独りで背負い込むなとか言いたいけど、力のない僕にはそんなこと言ってやれないし、八つ当たりくらいしてくれた方が救われる」
俯いて背を向ける静の、表情は見て取ることは叶わなかったが、普段明るい彼とは随分と違う空気を纏っていて、貴志は声を掛けることができない。
「………日頃どんなに努力してても、やっぱり僕は無力なガキでしかないんじゃんって、ちょっと・・・・・って!委員長に何話してんだ。あーもう最っ低」
はたりと我に返ったらしい静は、わざとテンションを上げるようにそう声を上げた。
「・・・・・静?」
「ごめんっ、今のナシ!委員長疲れてるんだったよね、呼び止めてゴメン!!」
気遣うように掛けられた声に、静はわざとらしいほど明るく振り返る。
「おい」
「委員長の負担が少しでも軽くなるように大人しくしてるから」
いつものように笑うが、しかし今はどうしたって無理をしているようにしか見えない。
前から薄々は感じていた。静には恐らく、他人には触れられたくない〈何か〉があるのだろうと。
「……………一度、聞こうと思ってたんだけど」
「な‥なに?」
大袈裟なほど肩を揺らす静が少し可哀想にも思ったが、結構限界が近いのではないかと思えて、だから貴志はあえて言葉を続けた。
「お前が医者を志望してる理由」
繋がるのは、そこ。
時々見せる…今日の夕方もあった…見え隠れする感情の揺らぎ、自責、自嘲。
それほど勉強が好きな風でもないのに、執拗なほど拘っているようにも思えて。
「な、なんだよ‥急に。今そんなこと、全然関係ないだろっ」
貴志から逃れるように視線を外した静は、既に作りものの笑顔を纏う余裕もなく、瞳を見開き青ざめた表情で怯えるように後ずさる。
「……………俺も抱えているものがあったけど、お前に聞いてもらったし。独りで堪えるのには、限界があることも」
「うるさいなあ!!僕はお前とは違うっ!!勝手な憶測で、人の気持ち土足で踏みにじるようなことしないでくれっ!?誰にもっ、これは誰にも触らせないっっ」
貴志の言葉を遮り、抑えの効かなくなった激情に任せて怒鳴り散らすと、静はよろけた身体を壁に預ける。
肩で息をする静の姿を、貴志は見開いた瞳で呆然と見つめ返し、しばらくしてようやく口を開いた。
「・・・ごめん、軽率だった」
しかし、静と距離を取るように一歩引いた貴志の腕を、強い力で静の右手が掴む。
「……‥‥‥僕、こんなこと言うつもりで待ってたんじゃないよ」
「分かってる」
静の腕に大人しく従い、貴志はその場にとどまる。
「先輩のことも心配だけど、委員長だって無茶し過ぎるなって」
「ああ」
互いに、俯いたまま。
「それと、助けてくれて、ありがとう」
「うん」
「心配してくれるのも、嬉しい。だけど…………ごめん」
最後の言葉は絞り出すように言って。
貴志の腕を離すと、静は顔を合わせないまま、自分にあてがわれていた部屋へと戻った。






後ろ手にドアを締めて、鍵を掛けると、力なくその場に座り込む。
堪えていた涙が溢れだし、眼鏡を放ると自分の膝に顔を埋めた。
「‥‥・まだ、・・・全然ダメでやんの・・」
いつまで経っても強くなれない自分が腹立たしくて、こんなことでまた思い出すことも馬鹿らしいと自らを罵倒する。
貴志が心配して言葉を掛けてくれたことを頭では理解していたけれど、許容量が限界を越えていた。
(・・・・・もうすぐ、二年‥だ)
この先、どれくらいの時を稼げば、どれくらい努力をすれば、自分は強くなれるだろう。
忘れることは絶対にしない。
だけど、立ち止まらないと決めた。
振り返らないと決めたのだ。
「・・・‥こんなんじゃ‥司に笑われる」
(笑うわけないじゃん)
漏らした言葉に、冷静な自分がつっこむ。
もういない彼女が、笑うことができるわけない。
「・・・なん・で・・どうして僕を独りにしたの」
毎日必死に努力しても、それは足掻きでしかなくて、傷は癒えることを知らない。
とっくに枯れたと思っていた涙は、嫌になるほど後から後から溢れ出して。
「・・・司・・つかさぁ・」
どんなに呼んでも、もう届かないと分かっているのに、縋ってしまう。
「‥‥………委員長の、バカヤロー‥」



◇◇◇◇◇



「・・・喧嘩した?」
綾奈の様子を伺っている貴志へ透夜がそう言葉を掛けると、貴志は苦笑を返した。
「すいません。あれだけ大声上げていれば家中響きますよね」
「いや、オレは別に構わないけど。結構落ち込んでるみたいだから、ね」
優しく笑う透夜から広がるような抱擁感のある空気に、貴志はいつもながらかなわないなと心に思って。
「静は何も悪くないんです。俺に非があるのは明確で…今日はなんだか落ち込むことばかりで、自分がちょっと嫌になりますね」
言って、力なく息を吐く。
「疲れてるんだろ、ずっと一人で走り回らせて、悪いな。うちの馬鹿も迷惑掛けまくったみたいだし」
そう言ってから、まぁそれはオレもか…などと付け足して、透夜は苦笑した。
「………聖さん、連絡ありましたか?」
透夜の言葉に聖のことを思い出し、貴志は神妙な面持ちで振り返った。
時刻は既に九時半を回り、聖と別れてから二時間以上は経過している。自分と入れ替わりに陸を向かわせたが、聖の行方は知れないままだった。
「うんにゃ、全然」
大袈裟に肩を竦めてみせる透夜に、貴志の表情は増々険しくなる。
「あいつのことなら、そんなに心配してやらなくてもいいよ」
意外なほどあっけらかんと言った透夜に、貴志は少し驚いて視線を向けた。
「聖って、ああ見えて土壇場に強いからね」
どこからそれほどの確信が得られるのかが不思議なほど、透夜は穏やかに…それでいて揺るぎない瞳で笑う。
「‥‥・・・アクシアル、ですか?」
「お前もまた‥随分と嫌な名前出すね」
原因を訪ねるように、半信半疑に貴志は問い掛けたが、これには透夜から苦笑が返る。
「あの怖い兄さんがどう出るかは知らないけど、とりあえずは葛乃部が綾奈連れ出してくれたから、きっと平気」
貴志たちに、アクシアルとの契約のことは話していなかった。アクシアルとはそういう…透夜側からは誰にも口外しないという約束で、しかしそもそも彼を当てにしているわけではない。
聖自身の力にしろ、第三者の力にしろ、長年の付き合いは聖の持つある意味強運とも言うべきそれに、十分確信がもてる。
「・・・・・はぁ」
いまいち納得のいかないらしい貴志に、透夜は笑って返した。
(どっちかっつーと、心配なのは精神面なんだけどね)
夕方意識が回復した時の聖の状況を思い出し、透夜は貴志に悟れないようそのことについては心の内に止める。
「それで、綾奈の方はどうなん?」
それとなく話題を切り替える透夜に、貴志は再び表情を引き締めた。
聖によって浄化されたかに思えた綾奈の呪縛…しかし、未だ綾奈の意識が戻る気配はない。
「綾奈さんが意識を取り戻すには、聖さんが掛けた力を一度解放する必要があると思います。ただ…」
そこまで説明して、貴志は躊躇うように言葉を切る。
「‥‥‥問題あり?」
貴志の意向を汲んで透夜がそう聞くと、貴志は素直に頷いた。
「ついさっき、この家の敷地と建物とに二重に結界を張ってきたんですが、これ程大きな力を解放するとなるとそれは無意味に…敵にこの場所を知らせることになります」
冷静に語る貴志の真剣な瞳に、透夜はおとなしく続きを待つ。
「それに、聖さんの守護魔法が未だにこれ程強大な力を放ち続けているということは、綾奈さんにかけられた呪縛が解かれていない可能性もある。もしそうだとすると………最悪解放した途端、生命の危機に陥るかもしれない」
言葉に透夜は表情を硬くすると、綾奈へ視線を移した。
「それはちょっと、困るな・・・」
ただ眠っているようにしか見えない綾奈の横顔に、昼間の元気な彼女を思い出して胸が痛む。
「聖と違って、うちのお姫さんはそんな頑丈でもないんだが」
「あくまで〈最悪は〉という話です。もう少し詳しく調べれば分かると思うんですけど」
さすがに疲労が溜まっている今、これ以上の力の行使は貴志自身への負担が大きく、それは彼が守らねばならない三人の危機を煽る結果につながるのだ。
「…あまり、無理するなよ。頼りにしてるんだから」
状況を察した透夜は、笑いながら冗談ぽく言うと、貴志の肩を軽く叩いた。
「すみません。………意識は戻らないとしても、力を解放しない限りは綾奈さんの安全は保証できますので」
至らない自分を悔いて俯く貴志に、透夜は「りょーかい」とだけ言葉を返して。
「それより!お前夕飯もまだだろーが。綾奈はオレが見てるから、飯食って…ついでに少しゆっくりしてきな。福山さんが帰る前に用意していってくれたからさ」
今までの空気を吹き飛ばすように軽快に笑って言う透夜の優しさに、貴志は少し不器用に…けれど素直な気持ちで笑った。
「‥‥・・・ありがとう、ございます」

 
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