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盛大に溜め息を吐き、通話を終えた携帯電話を折り畳むと、助手席に座る自分の足下の鞄へと放り、それから。
─────ガツッ!!
左手で握り込んだ拳で思い切りドアを叩き、そんな貴志の行動に同乗していた他の者たちの視線が集まる。
「い、委員長?」
後部座席から恐る恐ると掛けられた静の声に我に返る。
「失礼、ただの癇癪なので気にしないで下さい」
言いながら返った微笑は、寧ろそれ以上突っ込むなというようである。
他人の前で滅多に見せることなどないのだが、福山の車に乗っていたせいで気が弛んでいたらしい。
福山は貴志が幼い頃から身の回りの世話をしている人物で、信頼を寄せている相手だ。四六時中側にいるせいで、彼の前では自分の感情を押さえることも少ない。
もっとも、それを差し引いても今みたいな行動などはほとんど取るかともないのだが。
「それで、あの馬鹿はまだ頭冷えてないわけ?」
後部座席から透夜の呆れた声が掛かり、振り返った貴志は、肩を竦めつつ苦笑する。
「知ってましたけど、聖さんて本当に言い出したら聞きませんよね」
あの行動力は凄いとは思うけれど、それで巻き込まれる周りはたまったものではない。貴志は内心透夜に同情した。



◆◆◆◆◆



「落ちこぼれ?あぁ、確かに今のお前は魔法力がほとんどないようだが」
話を何とはなしに聞いていたレイスは、ロイの話に不可解そうに眉根を寄せ、それから素直にそう感想を述べると、しかしその言葉に更に落ち込んでしまったらしいロイに小さく息を吐く。
「龍族はお前のような幼児を戦線に出さなければならないほど、戦力が不足しているのか?」
「・・・・・そういうわけでは、ないけど…でも、私は同じ年頃の子よりもずっと力が使えなくて。皆が期待してた聖龍の皇子がこれでは世界は救われないって、平和な世界が取り戻せないって」
一体何処でそんな話を聞いてきたのか、たとえ相手が子供であろうと本人を前に話す内容ではないだろう。
「またお前は立ち聞きでもしたのか・・・」
「そっそんなつもりじゃなかったんだけどっっ」
呆れたようなレイスの言葉にロイが慌てて弁解するのを、責めるつもりで言ったわけではないのだがと苦笑を漏らした。
「神に選ばれし者を凡人の物差しで測ろうとすることこそが愚かだと思うがな」
言ってあまり興味がなさそうに小さく息を吐く。
「お前の価値が分からぬ輩のことなど捨ておけ。お前の価値はお前が知っていればいい」
俯き元気のないロイの頭を気休めに撫でながら、レイスは素っ気なく言葉を添えるが、幼いロイには理解の域を越えていた。
「自分の価値なんて、よく分からないよ………」
いじけるように自分の膝に顔を埋めるロイに、レイスは面倒くさそうに溜め息をこぼす。
「なにも魔法が使えるだけが価値ではないという意味だが…そこまで使えるようになりたいというなら、方法は他にもあるぞ」
「……………方法って?」
レイスの言葉にロイが不思議そうに顔をあげると、普段表情の載ることがあまりないレイスの瞳に、僅かにいたずらを企むような光が宿っていた。
「どうせ契約魔法か…せいぜい召喚魔法しか教えてもらっていないのだろう」
問われてロイは素直に頷いてみせる。
「今の世では太古の幻のように伝えられているがな…やる気があるなら、真言魔法を試してみたらどうだ」



◇◇◇◇◇



公園の入り口に立ち、深く息を吐く。
「これで綾奈がこん中いなかったら俺って馬鹿だよなぁ〜」
それはない、分かっているからここまで来たのだ。
太陽が沈みかけて青とオレンジのコントラストが目を引く空を見上げると、聖は心を落ち着かせるように大きく息を吸い込んだ。
それから、目の前に広がる光景に諦めにも似た笑みを浮かべる。
認めてしまえば簡単なことだった。
本当はこれ以上この世界の〈常識〉から外れる力など欲しくない…だから、今までは自分にはロイのような力などないと無意識に目を逸らしていたけれど、綾奈を助けるにはそれが必要で。
力の存在を自覚し、意識的に神経を使えば、今まで全く見えなかったはずのものが見えてくる。
視界の先に広がる世界に、この世界の常識では説明のつかない、淡い光の浮遊体…精霊が映る。
魔法力の低かったロイが、最初に修得した真言魔法。己の魔法力を殆ど必要としない代わりに、高い精神力と集中力を要し、なにより精霊の姿を視る力と彼らの言葉を理解し操ることが条件だった。
ある程度の魔法力さえあれば操れる契約魔法と違い、二つの条件を満たすことは困難であったため、真言魔法は世界からは殆ど忘れ去られていたが、それをロイに教えたのはレイスである。
真言魔法で経験値を上げることによって、彼自身の魔法力も向上し、果ては他の追随を許さないまでに上り詰めた。
「未だにあの人の世話になるってのもちょっと・・‥」
敵だと分かっていて、どうしてあそこまでロイの面倒を見てくれたのか、聖にもやはり理解はできなかった。
とにかく契約魔法のような契約の儀を必要としないのだから、聖が使える可能性としては真言魔法の方が高いわけで。
ただ、一つ気になることは、先ほど貴志との電話を終えた後に魔法を試そうとしたときの感覚。
思い出し、聖は表情を引き締める。
昼間アクシアルと対峙した後に受けた時と同様、激しい頭痛と目眩。自分が力を使おうとするのと同時に、それを抑制するような相反する感覚に捕らわれたのだ。
散乱する記憶たちに飲み込まれることこそなかったものの、浮上しかけた体調が再び最悪に落ち込んだのは言うまでもなく。
強く握りしめた拳を見つめ、精神を落ち着かせるように深く息を吐く。
何か別の力が働いているのだろうことは容易に想像できたが、その正体まではたどり着かない。
力を使わずに綾奈を取り戻すことができればそれに越したことはないが、貴志の到着を待たずに進もうとしている状況ではそれも難しいかもしれない。
ただ、それでも聖に引き返そうという気は全くなかった。
貴志達がもうすぐ側まで来ていることを感じ取り、だからこそ自分は先に出向く必要があると思えた。
明らかに覚醒している貴志と一緒では、警戒を強めるであろう敵の隙を突いて綾奈を助けることが難しくなるだろうが、未完全である自分一人であれば、油断してくれる可能性がある。
実際聖自身、未だ聖龍の召喚法を思い出せず…それは同時に皇子として覚醒していないことを意味していた。
勝算があると言えば嘘だが、今を逃せば綾奈の救出が困難である以上、先に進むしかない。
(………頼むから無事でいてくれ)
心の内で強く願うと、聖は結界の張られた公園の中へと入っていった。






いつもは学生や仕事帰りの社会人、恋人達があちこちに見られる公園の中は、今はただの一人も姿が見られない。
けれど、人の気配はある。
聖が園内に足を踏み入れたその時から、集中して感じる視線…どれも聖を値踏み見定めようとするようなそれで、聖は構うことなく木々の合間を黙々と歩いていった。
結界の中は嫌悪するほど向こうの世界の空気が満ちていて、それが聖の中に眠るロイの記憶を無駄に刺激する。
ともすれば、自分が〈聖〉であることを忘れそうで…しかし、綾奈を助けるという目的がある今は却って好都合ともいえた。
戦闘慣れしたロイの頃の感覚に支配されている方が、彼らと対峙しても冷静に対処を見いだせる。できることなら聖龍王としての宿命からなど逃れたいけれど、とにかく今は綾奈を無事に連れ戻すことが先だから。
木々に囲まれた道をしばらく歩き、左手に見えてきた噴水のある広場に、不自然に一人だけ人影があった。見慣れた綾奈の姿に間違いない。
噴水の脇に座り指先で水を遊ぶ綾奈の元へと、聖はまっすぐに向かう。
本人であることには間違いなく、身体的な異常はないらしいことにひとまずは安堵する。
すぐ側まで近寄っても、綾奈に気づく気配は全くない。
「あーやな」
普段と変わることのない口調でそう声を掛けると、ようやく綾奈が振り返った。
「あれ、ひーさんやっほ」
聖の姿に不思議そうに視線を返し、綾奈は何事もなかったように笑う。
「お前な…携帯出ないから心配したんですけど」
「え?あー‥・・ゴメン、気づかんかった」
少し考えた後、申し訳なさそうに苦笑する綾奈に、聖は小さく息を吐いた。
「ま、いい。とりあえず帰るよ」
差し伸べられた聖の手を掴んだ綾奈の細い手首には見慣れぬ装飾のブレスレットがはめられており、そこから溢れる負の力に聖は表情を曇らせる。
立ち上がることなく笑い掛ける綾奈の表情にも、どこか違和感があった。
「聖は?どうしてここに来たの?」
それでも気にするそぶりもなく。
「綾奈迎えに来たに決まってんだろ」
視線を逸らさず言う聖に、綾奈は楽しそうに笑う。
「本当にー?嬉しいな」
ゆっくりと立ち上がった綾奈の視線は、聖の肩越しに後ろへと向けられた。
「あたしもね、丁度聖に会いたいって人が居たから」
腕に抱きつきクスクスと笑いながら、聖に振り返るように促す。
仕方なく振り返った視線の先に、魔族の証である短く尖った耳を持つ男が二人。
赤茶けた髪の青年は確かに魔族らしいが、背の高い男の方は人としての気配は感じられず、どうやら青年が魔法で作り出した使い魔らしい。
「こんな女一人で、本当にお前から出向いてくれるとはな」
冷めた瞳とは不釣り合いな笑みを浮かべる男に、聖は興味なさげに小さく息を吐く。
「聖龍王だな。我らの故郷まで是非とも同伴願いたい」
「断る」
まるで聞く耳を持たずにそう返した聖に、寄り添うように立っていた綾奈が強く彼の腕を引いた。
「どうして逃げるの?」
視線を戻した聖に、さっきまでとは打って変わったような無表情の綾奈から強い視線が返る。
「聖っていつもそう。力のことも家族のことも皇子のことも、現実から目を逸らしたがる」
言って掴んでいた腕を乱暴に離し距離を取って男の側に立つと、聖とまっすぐに向き合った。
「あたしを迎えに来てくれたんでしょう?覚悟してきてくれたんだと思ったのになぁ」
冷たく笑う綾奈の表情に、聖は深く溜め息を吐き、視線を男へと戻した。
「コイツに掛けた術解いてくれたら考る」
譲歩と言うには随分と尊大な態度の聖に、男は面白くなさそうに瞳を細める。
「お前に選択の余地などあると思うか」
会話に加わることのなかった使い魔が、取り出したナイフを綾奈の手へと握らせると、意識を完全に支配されている綾奈はそれを自らの首筋へと押し当てた。
「…‥‥ちょっと待てよ」
「俺たちはお前さえ連れて帰ればいい」
鋭く睨みつける聖に男は冷めた視線で返すだけで、綾奈が己の首筋に立てたナイフで見せつけるようにゆっくりと肌に食い込ませていくのを止めることはしない。
「やめろっ!!」
皮膚を破りわずかに滲み出た血の赤に、聖は苦しげに表情を歪めてそう叫んだ。
「やめさせろ………大人しくすりゃいいんだろ」
忌々しげに睨む聖の視線に男は表情を変えることなくそれを受け止め、綾奈の動きを止めさせる。
「覚えておくんだな。こんな女いつでも殺せる」
歩み寄ってくる男へと視線を向けたまま、男の後ろで綾奈の首に突き立てられていたナイフが肌から離れるのを視界の隅で確認する。
直後、綾奈が手にしていたナイフが弾かれるように離れた地面へ落ちるのと、手首にはめられていたブレスレットが粉々に砕け散るのが同時に起き、男が振り返った時には綾奈の傍らに立っていた使い魔が背後に回った聖に蹴り倒されるところだった。
「っっ?!」
既に先ほどの場所に聖の気配はなく、術から解放され崩れ落ちる綾奈の身体を両腕で抱き止めたのが本物の聖であることを認識した時には、再び…今度は綾奈共々姿を消した。
魔法を使った形跡もなく、何が起こっているのか理解できずにいた男は、しかしすぐに我に返ると瞳を伏せ二人の気配を追い求める。
「どうやら失敗したらしいな、シス」
それまで姿を現すことなく傍観していた仲間達が次々と姿を現すし、シスは怒りを露わに振り返る。
「ヤツはまだこの結界内に居る、策も取ってあるっ!」
「既にキリトが向かったわよ。もうすぐ地龍の皇子が来る…仲間内で揉めて捕り逃すなんてことないようにね」
面白がるように告げる女を睨むと、シスは聖の気配を追った。

 
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