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〔X〕


「彼女の力を喰ったのは貴様だな」
冷酷な表情で首筋に剣を押し当てるロイに、男の方はすっかりと竦み上がっている状態だった。
戦線へ出ることのほとんどないロイの戦闘能力がこれほどまで高いなどと、仲間の誰もが予想していなかった。
この若さで国政の裁きはずば抜けており、しかし戦場では指揮官としての能力を発揮することはあっても、自ら先頭に立って戦うことなどはなく、魔法の才能など皆無とまでいわれていたのだ。
ロイの活躍は有能で知られる側近シヴァの力添えあってこそというのが誰もが考える定説であり、王族としての地位を邪魔する者や皇子としての力を欲する者たちが放つ刺客が打ち砕かれるのだって、彼あってこそとされていた。
龍族随一といわれる軍隊ですら手を煩わせたほどの自分たちの軍が、ロイ一人によって全滅させられようとしている。
「………答える気がないようだな」
言って剣を構え直すロイに、男は慌てて口を開いた。
「俺だっ、俺が喰らったっっ」
怯えきった男を冷めた目で見下ろすと、ロイは端的に命令する。
「戻せ」
「むっ無理だっ、一度取り込んだ力を戻す術などっ」
男の言葉を最後まで待たず、ロイは怒りに任せて止めを刺した。
血生臭い光景が嘘のように辺りに静寂が戻り、ロイは放心したように立ち尽くす。
「‥‥・・シヴァに、怒られるな」
そうぽつりと呟き深く溜め息を吐くと、剣についた血を拭き取り鞘へと納めた。
皆殺しにする必要などなかったことは、本当は分かっている。内情を知られた相手の口を封じれば済む話で、末端の兵まで手に掛けたのはどうしたって私情の暴走としか言いようがない。
未熟故の惨事で、ただ、それでも胸が痛まない自分が人として心が酷く欠落している方を嘆く。
ロイは重い足取りで、龍の姿の宮に守られるように横たえるクレアの元へと戻ると、力なく座り込んだ。
「‥ロイ‥・さ、ま・・・?・」
辛うじて一命は取り留めたものの、クレアの瞳は光を奪われ、定まらない視線でロイを探している。
「………‥ごめん、クレア‥‥・ごめん・・」
こんな時でも涙が出ない己を恨めしく思いながら、ロイはクレアに触れることもできずただ俯いた。
「‥‥何を、謝ることがあるのです」
そんなロイにクレアは小さく微笑むと、伸ばした手でそっとロイの頬を撫でた。
全身に受けた傷は、既に宮の力によってその殆どが癒されている。ただ、激しく消耗した体力に、起き上がることは難しかった。
「貴方が助けにきて下さらなければ、私などとうに命果てていたというのに」
「違うっ!違う‥ごめん‥………」
自分と関わり合わなければ、自分がこんな感情を抱かなければ、おそらくは起こり得なかったはずの現実。無意識だった自分を恥じ、その事実に甘えた自分を呪う。
だから、こうなることが予測できたから、諦めるつもりだったのに。こんなつもりで、好きになったんじゃない。
「………。光をなくしたこの瞳では、ノマ様の護衛など無理ですね」
静かに告げるクレアの言葉が痛くて、ロイはきつく目を閉じた。
「きっと‥身分もわきまえず貴方に惹かれた私へ、神が罰を与えたんだわ」
そんなことはけっしてないと否定したくて、けれど、言葉は出てこなかった。クレアは自分のためにわざとそんな言葉を選んでいることを知っていた。
クレアが自分と同じ想いを抱いていたことも、ロイは知っていたのだ。
「貴方が助けにきてくれた事実だけで、私は本当に、幸せなのよ」
言って涙するクレアは本当に幸せそうで、それは泣き方を忘れたロイの代わりに泣いてくれているようにさえ思えた。



◇◇◇◇◇



ポケットに無造作に放り込んだ携帯電話の振動に聖が気づいたのは、十回以上はコールが掛かった後。本当はそれ以前にも何度も電話が掛かってきていたのだが、聖がその事実に気づくことは、今のところないようである。
壁にぐったりと上体を預けたまま、手探りで取り出した携帯電話のコールを取ると、とりあえず耳元まで持っていく。
『もしもしっ、聖さん?!』
聞こえてきた声は心配していたらしく、しかし未だ思考が現実に戻りきっていない聖には、どこか遠くに感じていた。
『聖さん?もしもしっ』
返事のないことを不審に思ったらしく再度そう声が掛けられ、聖はようやく口を開いた。
「……………誰?」
着信時にディスプレイを確認する余裕はなかった。
声には、聞き覚えがある。
『俺です、貴志です』
「‥…あぁ」
名を告げられ、ようやく声と顔が一致した。
『今何処に居るんですか…電話に出られるってことは無事なんですね?』
確認するように問われた言葉に、思考を巡らす少しの沈黙。
「…あんま無事じゃないかも」
未だに安定しない思考、体調。地上へと続く階段に座り込んだ状態から、今は一歩も動けそうになかった。
「行き倒れ寸前な感じ」
苦笑混じりに、独り言のように呟く。
『大丈夫ですか?貴方今何処に居るんですか‥・・』
「あぁ、ごめん、平気。今‥‥何処だろ‥地下鉄乗ったから、えぇと………日比谷?」
辺りを見回し、地下鉄の看板を確認して現在地を告げる。
『………なんですって?』
聖から返った言葉に、電話の向こうで貴志の気配が険しくなるのが分かった。






「福山さん、行き先日比谷にして下さいっ」
携帯のマイク部分を手で覆うようにすると、助手席に座っていた貴志は運転席に座る男へと口早に告げ、すぐに電話に戻った。
「日比谷の何処に居ます?駅構内ですか?」
『や、地上出口の…番号までは分からないや。階段の途中に座ってる』
辛うじて屋外ではないらしいことに、貴志は僅かではあるが安堵する。
「今からそっち向かいますから、絶対にそこ動かないで下さい」
何故聖がそんな場所に居るのかよりも、今は彼の安全を確保する方が先だ。屋外よりは屋内に居る方が、いくらか安全といえる。聖の詳細な所在地が分からないとしても、地龍を司る自分であれば保護しやすい位置にいることになる。
しかし─────
『………ごめん、無理』
聖からの返答に、貴志は深々と溜め息を吐いた。
「聖さん…どういう理由かは知りませんが、貴方は今回の事情を理解しているんですよね。ご自分の立場も分かっているはずです」
『分かってるよ。でも…綾奈が捕まってるかもしれない』
「承知してます」
聖の言葉に貴志は間を置かず返答し、これには聖の方が少し驚いたようだった。
『………見捨てられるわけねぇだろ』
苦しげに呟く聖に、貴志は再び溜め息を吐く。
「誰も見捨てるなんて思ってませんよ。ただ、今の貴方が行って助けられるとは思えませんけど…聖さん、宮もいないのに力使えるんですか?」
少し呆れたような貴志の言葉に、痛いところを指摘されて聖は言葉に詰まった。
「宮の気配もない力も感じられない貴方が、どうやって綾奈さんを助けるっていうんです。少し冷静になって下さい」
『……………』
諭すように言って、ようやく聖からの反論が返らなくなると、貴志は小さく息を吐いた。
「俺だってすぐにでもそっちへ飛んでいきたいところですが、こっちは静と透夜さんも居るんです。できるだけ早く行きますから」
『………透夜?』
訝しげな声音が返り、貴志は少し考えてから言葉を続けた。
「アクシアルという男に連れてこられたんですが‥…」
『…アイツが』
聖の呟きに瞳を細めると、聖の様子を伺うように慎重に続ける。
「昼間学校にいた生徒もアイツですよね…聖さん、アイツとどういう関係なんですか?」
『えっ、どうって‥…』
質問の意味を解していないらしい聖に、貴志は自分の意図するところが伝わるように言い直した。
「正確に言います、ロイとアクシアルはどういう関係だったんですか?」
『……………』
言葉にようやく意味を理解したらしい聖から、それで尚返る気まずそうな沈黙に、貴志はいよいよ頭痛を覚えた。
クリフたちの…前世の戦いで、アクシアルは龍族と対立していた魔族の中核的立場に当たる人物だ。クリフたちの時代でこそ戦線に出てくることは少なかったが、アクシアルは確かに敵であり、あの男のおかげで龍族やその他の種族だってどれほど被害を被ったかなど計り知れない。
「静と透夜さんにも少し話を聞きました。正直個人的にはあまり確認したくない内容ですが…まさか友好的な関係にあったなんて、ないですよね?」
二人それぞれから聞いた話では、どう転んでも聖と彼が敵同士には聞こえない。それどころか、信頼にも近い関係を感じ取ってしまい、貴志はその事実に言葉を失ったほどだ。
ロイは自身のことについて殆ど語らない人物だったが、交友関係が広く多種族に渡っていたことは知っている。
相手の種族や立場を深く考えることはないらしく、人間性で付き合う相手を選んでいたのは関心するところだが、そのせいで友人関係を公にできないような相手も多数居たようで。
ルアウォールの一人息子であるレイスと複雑な関係だったらしいことは知っているが、そのせいでロイ自身随分と苦しんでいたのだ。
この後に及んでアクシアルとまで交友関係があったなど、考えるだけで頭が痛い。
『……………………ごめん』
長い沈黙の後、聖から返った言葉は謝罪の念だった。
「‥‥…どうして、謝るんです」
ほぼ諦めの入った声音で問うと、聖が電話の向こうで小さく溜め息を吐くのが分かった。
『いや、心配掛けたみたいだし』
この件に関して、少なくとも聖に謝られる筋合いはないはずで。
ロイが罪悪感を感じながらもアクシアルと友人関係を続けていたというなら、それはまた彼を苦しめていた要因になりはしないかと、今更無駄なことを考えてしまう。
「………そういう意味なら、素直に受け取ります」
考えれば答えのない不毛さに、貴志はその思考を頭から追い出した。
『実際のところ、俺もまだ完全に思い出した訳じゃないんだけど・・・。でも、今分かる範囲では‥‥‥ロイにとってアクシアルは、信頼できる相手だったと思う』
少し躊躇った後、聖はそうきっぱりと告げ、貴志はその言葉に堅く瞳を閉じる。
彼らの事情など全く分からないし、ロイが裏切っていたとは到底思えない。(どちらかといえば、アクシアルの方が仲間を裏切っていただろうことは想像がつく)
ただ、生理的にあの男は受け入れられないし、認められないのだ。それがまんまとロイに近づかれていたかと思うだけで、苦々しい思いだ。
「………そうですか」
深い息と共に言葉を吐き出し、貴志は話をそこで切った。
「とにかく、俺が行くまでそこを動かないで下さいね。よりにもよって日比谷にいるなんて・・・とくに公園なんて絶対近づかないで下さい」
『いや、何か直感で・・・綾奈が居る気がしたんだけど。もしかして、鳳凰が開けたっていう次元の穴があるのって、そこ?』
直感というにはあまりにも的確な聖の言葉に、貴志は内心苦笑しつつ「その通りです」と先を続ける。
「今は俺が魔方陣で強引に封印してますけど…彼らの一番の狙いはおそらく聖さんでしょうから。貴方が捕まったらそれこそ強行的に方陣を壊すか、あるいは新たに次元の穴を開くかもしれない」
万が一にも向こうの世界へ連れ去られるようなことがあれば、容易に助け出すことはできない。
『‥……約束できない』
考え込むような少しの沈黙の後、聖の出した回答に貴志は脱力した。
「‥‥‥貴方ねぇ」
今までの苦労も虚しく、聖は貴志の希望を叶えてくれそうにない。
『もともと俺がここに留まってるのって、体調最悪だからなだけで、動けるならすぐにでも綾奈探しに行くつもりだし』
何を最重要とするのか、聖には初めから決まっていたらしい。
『それに、力なら使えるよ…………多分ね』
「多分じゃ困りますよ。本当なんですか?」
聖から返った予想外の言葉に半信半疑でそう問い掛ける。なにせ昼間会ったときには、そんな素振りはまったく感じられなかったのだ。
『今まで意識してなかったから力使うことなんて考えてなかったけど、言われて気付いたっつか・・・』
そこまで言ってバツが悪そうに口ごもる聖に、それが〈誰に〉言われたことなのかは想像が出来、貴志は深く溜め息をつくと疲れたように背凭れに深く身を預け、目に掛かる前髪を掻きあげた。
「力があるからって、見よう見真似で出来るものでもないんですけど・・・まぁ、貴方ならこなすかもしれませんが。あまり厄介ごとを増やさないで下さいよ」
『うん、ごめん。努力するよ』
聖の素直な謝罪の言葉は、しかし彼の決意の固さもそのまま伝えてくる。
貴志は改めて深く溜め息を吐くと、諦めたように言葉を返した。
「分かりました。せめて貴方に幸運があることを願うことにします」
『‥‥悪ぃ』
貴志の妥協に聖はほっとしたように、それでいてやはり済まなそうに謝った。
『・・・貴志』
その上で、まだ頼みごとがあるらしい聖に、貴志はいよいよ降参したようで。
「何ですか」
『俺よりも、綾奈優先して助けてくれないか?』
おおよそ予想できた内容に、既に咎める労力すら惜しくなる。
「……………分かりました。聖さん独りなら、ご自身で何とかなるというのでしたら」
どこまで通用するかは分からないが、聖は魔法とは別の力らしい超能力もあるわけで、実際全く無茶という話ではないだろう。
ただ………
(聖さんの体調が万全ならという話なんですが)
『もちろん、何とでもするさ』
自分に言い聞かせるような聖の言葉に、貴志はそれ以上の追求は言葉にしなかった。


 
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