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◇◇◇◇◇



―――――今でも強烈に覚えているのは、ヒステリックな女性の声。



その日、透夜は午後から家で遊ぶ約束をしていた。聖が家に来る約束で、しかし約束の時間をとっくに過ぎて、いつまで経っても聖が現れないから、愛犬アインシュタインと共に透夜は迎えに行くことにしたのだ。
最初、インターフォンを押しても反応がなくて、どうしたものかと途方に暮れ、石段の前でしゃがみ込んでいた時だった。
自宅から聖の家までは一本道で、すれ違ってないのだから家に居るのだろうと思っていたのに…そう考えていた矢先のこと。
外にいても聞こえるほどの大きな物音に、透夜は驚いて振り返る。
少し考えた後、透夜は門を開いて石段を上ると玄関の前まで辿り着いた。
と、今度は女性の怒鳴り散らす声が響き、透夜は急に不安に駆られる。
聞き馴れた声はすぐに母親のものだと分かった。
言葉の内容までは聞き取れなかったが、嫌な予感を覚える。今までにも、透夜は何度も聖が母親に手をあげられるところを目撃していて、その殆どが理由も分からないもので。
聖は自分からは何も言わないが、毎日のように見られる傷が母親によるものだということは、透夜には何となく分かっていた。
その場を離れた方がいいのかとも思ったが、聖のことが心配で…少し考えた後、恐る恐ると玄関のドアへ手を伸ばした。運が良かったというべきか、鍵は閉められてはいない。
「こ、こんにちわ‥・・」
小さな声で言って、中の様子を伺うように顔を覗かせる。
「もう止めてっっ!!」
二階から響いた声は聖の姉、早苗のもので、透夜は声のする方を見上げた。
吹き抜けの玄関…その壁に沿って廊下の奥から二階へと木の柵が備わった剥き出しの階段が続く。
「二度と現れないでちょうだいっ!このバケモノ!!」
「お母さんっっっ!!!」
母親の怒鳴り声と早苗の悲鳴が響く中、正気を逸した形相の母親に今まさに突き落とされた聖の姿に、透夜は瞳を見開いた。
「聖っっ!!」
そう名を呼んだ時には既に聖の小さい身体は階段を転げ落ち、慌てて家の中へ駆け込んだ透夜の目の前に聖の身体が転がった。
一瞬足が竦み恐怖に息を飲んだ透夜は、恐る恐るしゃがみ込むと聖の肩をそっと揺すった。
「・・‥聖?」
そう呼び掛けても反応はまるでなくて、直後床へ流れ出た赤い液体が視界へと入り、透夜は恐怖に硬直する。
「いやぁぁぁっ!離してっ、聖っっ!!」
早苗の叫び声に振り返ると、一階へと降りようとする彼女は母親の腕に捕らえられていて。
「透夜っ、聖はっ?!」
透夜の存在に気付いた彼女は母親の腕の中でもがきながら必死に言葉を掛けてくるが、今まで目にしたこともないような出血の量に透夜にはどうすればいいのかなどまるで判断がつかない。
このまま放っておくわけにはいかないことだけはたしかで、けれど聖の側を離れることが怖くて、透夜は泣きそうな思いで辺りへと視線を巡らせる。
目に止まったのは、愛犬アインシュタインと、電話機。
「あっアインっ、大人の人呼んできてっ!早くっっ!!」
咄嗟に叫んだ透夜の声に応えるように吠えると、アインシュタインは玄関を駆け出ていった。
アインシュタインを見送った透夜は震える足でどうにか立ち上がると、電話機へと駆け寄る。
自宅以外の番号はまるで知らない透夜だったが、この家の電話機の傍には幸運にも透夜の父が開いている道場の電話番号が貼られていることを知っていて、透夜は壁に貼られた紙を頼りに父の職場の番号を押した。
二階からは未だに早苗と母親の争う声が聞こえてきて、透夜は背後に横たわる聖を気にしながら祈る思いで受話器に耳を当てる。
一回、二回、三回、四回目のコールが鳴り止む直前に、誰かが受話器を取る気配がした。
『はい、日向道場』
偶然にも電話に出たのは父親本人で、透夜は慌てて受話器を握りなおした。
「もしもしっ、お父さん?!」
『…透夜?どうした、用があるなら直接道場に顔を出せば‥・・』
「おねがいっ、聖の家にきてっ!聖が死んじゃうよ!?」
父の言葉を聞く余裕もなく、透夜は縋る思いでそう叫ぶと堪えていた涙が溢れだした。
『………透夜、何があった?』
透夜の様子にただ事ではない雰囲気を感じ取り、透夜を宥めるような口調で語り掛ける。
「オレ‥・・分かん・な・‥‥」
父親の声を聞き緊張が一気に緩んだらしい透夜は、どうすればいいのか分からない様子で、ただ受話器へと縋る。
『分かることだけで構わないから話してごらん。どうして聖が死んじゃうって思ったんだい?』
「・・・・おばさん、なんか変で‥……聖‥階段落ちて、血がいっぱい出てて‥……」
透夜の言葉の背後で、早苗と母親の言い争うような声が伝わる。
「どうしよう。オレ、どうしたら‥・・」
そこまで言ったところで、突如背後から襲われた目映い光に透夜は振り返り、視界に飛び込んできた光景に呆気に取られるようにして受話器を落とした。
聖を囲むように円筒状の光が放たれ、そこから恐竜に大きな翼を生やしたような動物が姿を表したのだ。
『透夜?もしもし‥透夜?!』
受話器から響く父親の声は最早透夜には届かない。
小型犬と変わらない程度の大きさのその動物は実体がないように向こうの壁は透けて見え、透夜は瞳を見開いたままその光景を呆然と見つめる。
大きな翼が聖を包むように下ろされ、翼は次第に人の腕へ…身体は人型へと変わっていく。
《‥‥・・王、・・セ・イ・‥‥ゥ・・サマ・》
発せられた言葉は聞き取れなかったが、その…愛しむような悲しむような声音が深く胸に刻まれた。






透夜の父親が到着したときには既に〈彼〉が現れた形跡はなく、すぐに到着した救急車によって聖は病院へと運ばれた。
病院での診断では、全身を打ちつけたはずの聖の外傷は殆ど確認されず、出血の酷かった頭部も既に殆ど止血状態だったという。
正気に戻った聖の母親は自分が聖を殺しかけたという事実に再び半狂乱となり、そのまま入院を余儀なくされる。
聖の昏睡状態は二週間の間続き、十五日目にしてようやく意識が戻った聖は、母親に関する殆どの記憶を失っていた。
精神的ショックによる記憶障害と診断され、これを機に母親とは離れて暮らすことになった。



◇◇◇◇◇



龍族は皆生まれながらにして一匹のドラゴンを操る。ドラゴンは同じ魂を共有し、主人の力が尽きない限り存在し続ける。つまりは、生涯を共にするのだ。
そのドラゴンが、神の力を与えられた皇子に限り人型を取る能力を持つ。いわば、神によって選ばれた証である。
「クリフのドラゴンだった陸は戦闘中に敵の魔法によって身体を石に変えられてしまったんだ。何度も解放を試みて、救い出せたのは肉体を離れた幽体だけだった」
淡々と話す貴志の横で、静はまるで絵空事を聞くような思いで、けれど貴志の言葉を遮ることはしなかった。
「石化した身体は元の魂へ帰ることができず、クリフが死んだ後も大地に縛られたまま今も神殿の中にいる。だから、クリフの魂は不完全なままで…おそらくはそれが原因で転生に失敗して、俺は前世の記憶が残ってるんだと思う」
口調は静かに…けれど、どこか自分を責めているような口調に、静は隣にいる彼が自分の知らない人物のように思える。
言葉をそのまま信じきれるほど柔らかい頭は持ち合わせていないけれど、貴志がこんなくだらない冗談を言う相手ではないことも、ある程度分かっているつもりだ。
「俺が事情通なのはそいいうわけ」
わずかに流れた沈黙を払うように言うと、貴志は肩の力を抜くように大きく息を吐いた。
「簡潔に言えば、俺らは命を狙われているってことで」
言ってようやくまっすぐに向けられた貴志の視線に、静はどうしたもんかと頬を掻く。
「………はぁ。…‥なんか‥実感皆無だけど」
そう口にして、しかしそれは嘘かと独りごちる。
昼間、透夜と共に追いかけた少年を前に、少なからず身の危険を感じたのはまぎれもない事実だ。
「静の実感はどうでもいいよ。俺たちの居場所がばれてしまった以上、いつ仕掛けられてもおかしくない状況だということは忘れないように」
自分の言葉はさらりと流され静はがくりと肩を落とし、しかし今更貴志の性格にツッコミを入れるのも馬鹿らしい。
「………まぁ、お前がそこまで言うなら一応頭には入れておくけど。現実問題、今の僕はそんな力なんて全然使えないからね、狙われたら助かる余地ないんじゃない」
たとえ真実がどうであれ、今ある現実はただの無力なガキにすぎないのだと、半ば自嘲するように言ってみせた。
「何言ってんの、そのための泊まりでしょ。お前は暫くうちに軟禁だよ」
「い、いいんちょ‥さすがに僕も連続外泊はキツいんですが・・・」
そもそも、そんなわけの分からない内容で拘束されるのは御免である。
「分かってる。俺だってこんな状況いつまでも野放しにしたくないし。できるだけ早くカタ付けるよ」
分かっていると口にした割には強行姿勢が見て取れ、静は溜め息を吐いた。
「まぁ、適当によろしく。人間最後は自分大事だからね」
「何言ってんの。お前は守るよ」
適当に流そうとした静に、然も当然という風に返った貴志の言葉に静は正直驚く。
「静の命は俺が守る」
死なせたりしない。
もう一度証明するように言った貴志に静は呆気に取られ、ややして頬をひきつらせると、今度はわざとらしく笑って見せた。
「・・・・・今のって僕、委員長にコクられちゃった?」
静の言葉に今度は貴志が固まる。
「女顔とかジャニ系とかはよく言われるけどねぇ〜、やっぱりこれでも一応ノーマルだからさ、ゴメンネェ」
言いながら、静は営業スマイルで笑い飛ばす。
「そうだね…よく考えたら知り合ってたかだか三ヶ月くらいの付き合いだし、わざわざそこまで世話焼く義理もないかもね」
怒りに肩を震わせ低い声音で言うと、貴志はベンチから立ち上がり静をおいてさっさと歩きだした。
「え…あ、ちょっと‥‥委員長?」
静は内心少しやりすぎたかと思いつつ、慌てて貴志の後を追いかける。
「せめて静の強運があることを祈ってるよ」
貴志は振り向きもせずに不吉な言葉を告げる。
「やっ、冗談だって!委員長っっ」
いくら未だ信じきることはできないといっても、あんな話を散々聞かされた後で捨てられるには辛いものがある。
「貴志ってばっ!!」
足早に歩く貴志の前へと回り込み、腕を掴んでようやく歩みを止めさせた静が見上げた視線の先で、貴志はイタズラが成功したとでもいう風に舌をべろりと覗かせた。
「……………む、ムカつく」
言ってその場にヘナヘナと脱力する静に、貴志はにっこりと笑って返す。
「人が真剣に話してるのを茶化したのは誰だったかなぁ〜?」
「……………」
先にからかったのは自分だと分かりつつも不満げな視線で睨んでくる静に、貴志は泣く子も黙りそうな笑顔を浮かべた。
「『僕を守って下さい』とか言わせて欲しい?」
「・・・・・ゴメンナサイ」
貴志の迫力に静は頬をひきつらせたまま、しかし結局は素直に頭を下げたのだった。
「分かればよろしい」
「・・‥お前、本当イイ性格」
げっそりと呟く静に貴志は『褒め言葉と受け取っておくよ』などと返してくる辺り、静にはまだまだ勝ち目はなさそうである。


 
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