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目的地へと続く道のりを永遠に続くのではないかと思えるほどに遠く感じながら、ロイは焦る気持ちを振り切るようにひたすら馬を走らせていた。 側近であるシヴァが背後から同じように馬で追いかけてくるが、距離が開いてしまっている今は何か言っているらしい彼の声も通らない。 ―――――前王妃サランとその息子ノマを連れた一行が魔族からの襲撃を受けた。 そう一報が届いてから、未だそれほどの時間は経っていない。 王族を守る隊は国王軍の中でも秀でて強く、選りすぐられた戦士達を前に例え魔族の将であっても簡単には手が出せないはず…それが、王都から目と鼻の先で襲撃を受けたという事実は、流石に苦々しい思いである。 親族の婚姻の儀の招待に、仕事で城を離れられないロイを残しサランとノマが出向いていた。 その帰りの出来ごとである。 眼下に広がる森へと続くゆっくりと下る坂道、その脇に崖が現れたところで、ロイは迷わず崖を掛け降りる方を選んだ。 報告ではサラン達を連れた隊は森を抜け少し先まで来ているという。ならば、坂を下るよりは崖を下りて森を突っ切る方が近道だ。 鉄壁とも言われる軍隊を前に、敵が勝算を見出し仕掛けてきたとは考え難く、逆にそうまでして勝敗を焦っている様子もなかったはずだ。 ロイの脳裏にまさかという思いがよぎる。 正直なところ、サランとノマの心配はしていなかった。それだけの確証を得られるほどの護衛を付かせてある。 しかし、一つだけ。確率としてはかなり低いと思える可能性に、しかし一抹の不安は拭えない思い当たる要因が別にあった。 まだ四歳を過ぎたばかりのノマの世話役兼身辺警護役として配属されている、クレアという女性。以前は軍の幹部としての職務を勤めていた彼女は、文武共に長けた人材であり、亡き先代の国王が現在の地位に抜擢していた。 いつからか、自分がクレアに無意識的に惹かれていること気付いたのは、今から遡ってもそう遠い話ではない。 気付いて直ぐに、誰にも気付かれぬよう、悟られぬよう気を配り、想いが静かに沈下するまで時を稼いでいた。 身分の違う相手への思いが成就するはずもなく、まして自分は王族である以前に聖龍の皇子としての立場がある。いついかなる事態で彼女を無駄に危険な目に合わせる可能性が潜んでいるのだ。 彼女を大切に思えばこそ、この思いは忘れることが必須だった。 けれど、未だそれを実現することが出来ないでいたのも事実。 私情を殺すことには昔から慣れていたし、感情を隠すことも既に当たり前の生活で、今までだって周囲の者たちに心情を悟られることなどなかった。今更誰かに気取られたなどとは考え難いけれど…ただ、自分自身が己の本心に気付くことに遅れた分、無意識的に表面に出ていた可能性は否定できない。 先代の王が死してロイが王位を継いでから、未だ一年足らず。情勢に乱れた様子はないが、まだ若すぎる新国王に不満を持つ大臣も少なくない。ロイの王としての振る舞いは完璧と言って相応しく、それが返って一部の者たちの反感を買う結果になっていた。 それでなくても〈永遠の泉〉の在り処を巡って聖龍の皇子を狙う輩が後を絶たない………ロイに敵対する者は、なにも魔族だけではないのである。 勝算の低い襲撃、敵の狙いが母か弟であれば案ずる事など何もない。しかしもし、狙いが王族ではなくクレアだったとしたら。 「ロイ様っっ!!!」 いつの間にか直ぐ背後まで追ってきたシヴァに呼ばれ、ロイは彼の馬の扱いの巧みさに思わず苦笑を漏らす。 「もう追い着かれたか・・・流石だね」 直ぐに真横まで距離を詰めてきた彼に、冗談めかしてそう言葉を返し、しかし急がせる馬はロイを乗せたまま相変わらずの速さで森を駆けていく。 「いい加減ご自身の立場を弁えて行動下さいませんか」 既に連れ戻すことは諦めているのか、咎めるというよりは疲れているといった語調である。 「職務は申し分なくこなしているつもりだけれど」 「確かに援軍の支持も王都の警備強化も完璧にこなして下さいましたが、手配させた援軍よりも先にご自身単独で戦線へ赴かれては、部下たちに示しがつきません」 ロイが分かっていることを承知の上で、それでも律儀に説明をするのは彼が怒っている証拠である。 「都の直ぐ傍でこんな事態になったなんて、国民たちに不安を与えないためにも早急な解決が必要だと思ったのでね」 勿論、その言葉が大義名分でしかないということは分かりきっている。そしてロイが何をそんなに急いているのか、その理由もシヴァには分かっていた。 「お気持ちは察しますが、せめて側近である私の同行を許して下さいっ!」 「・・・・・済まなかった」 シヴァの真剣な眼差しを受けてロイは静かにそう返すと、一度伏せた瞳を開けた森の先へと向け、遠方に微かに見えてきた景色に表情を引き締めた。 「悪いが説教は後にしてくれ。ジルの隊が見えるな、加勢する!」 「ロイ様っ!!」 言って一気に馬の駆ける速度を上げさせて先を急ぐロイに、シヴァは溜め息を吐くと仕方なく後についた。 帰宅を始めた会社員で少しずつ混み始めた都営地下鉄線。 ドア脇の壁に寄りかかるように身を預け、平行感覚の殆どを失った状態の身体をどうにか支えていた。 綾奈を探しに家を出てから、これといった目的地もないまま自分の勘を頼りに聖はこの電車に乗車した。 勘と言うにはあまりにも確信的な思いに、しかしその力の正体に思考を費やす余裕など今はない。 (―――――よりによって、何で彼女のことなんて) 思い出したくないことばかりを思い出すのは、それがロイにとってはより深く刻まれた記憶だからか。 クレアはロイが恋心を寄せた初めての相手であり、故に戦乱に巻き込んでしまった相手である。ロイが王位を継承して一年、十五歳の頃の話であり、既に過去に一度その頃の記憶は夢に見ていた。 今更思い出したくもない…こんな時に、そんな不吉な記憶。 (綾奈はそんなんじゃないってば・・・・・) あの時、アクシアルに言われたあの時に、すぐに行動を起こさなかった自分を悔やんでならない。 急に辺りが明るくなったことに、電車がホームへと入ったことに気づく。 どこの駅かなどということは気にする余裕はなく、ただこのまま立ち続けることには限界を感じて聖は降車すると、人混みを避けるようにホームの中へと足を進めた。天井を支えていた柱に手をつきそのままズルズルとしゃがみ込む。 目眩と貧血に呼吸を荒げて必死に酸素を取り込み、視界に広がる風景の色彩が薄くなる感覚に、手放しそうになる意識を賢明に繋ぎ止める。 ─────コノ私ヲ本気ニサセタ事ヲ、後悔サセルヨ 脳内に響く憎悪に満ちた言葉、それらに刺激されるように酷くなる目眩と頭痛に、聖はキツく瞳を瞑り奥歯を噛みしめた。 続く記憶が何であるかは分かっている。 だから尚更、思い出したくはない。 ─────許サナイ 許サナイ許サナイ許サナイ それが遠い昔の出来事であることを忘れるくらい、感情を直接揺さぶる強烈な記憶、思い。 ─────ミンナ死ンデシマエバイイ!! 「大丈夫ですか?」 突如掛かった背後からの声に、聖は大袈裟なほど肩を揺らした。 振り向いた先に社会人らしき女性の姿を認め、ここが駅のホームであったことを思い出す。 「貧血かしら…駅員さん呼びましょうか?」 具合が悪そうにしゃがみ込んでいる聖に、おそらくは親切心から声を掛けたのだろう。 「………や、あの、平気です」 戸惑いながらもそう言葉を返し、聖は柱に寄り掛かるようにしながら立ち上がる。 「でも、顔色悪いわよ?無理しない方が‥・・」 「少し気持ち悪かっただけだから…俺、急いでるんで」 女性の気遣いを拒絶するように言ってその場を離れようとし、しかし踏み出し掛けた足を止めると聖は女性に視線を戻した。 「すいません…ありがとうございました」 真っ直ぐな視線を向け、そう感謝の言葉を告げると、聖は今度こそその場を後にした。 |
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