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〔V〕


それまで全力で走っていた綾奈は、突然のことに頭が真っ白になってしまい、思わず足を止めた。
「‥‥ちょ、ちょっと待ってって…て。あれ、部長は?」
ようやく追い着いた一番足の遅い水樹には、かろうじて目撃されることはなかったらしい。
『悪いっ、先行く!』
廊下の角を曲がるなりそう言い残して瞬間移動した聖の行動にも、一応意味はあったと考えるべきなのか。
しかし、もう一人…見慣れぬ生徒が居ることについては、どう説明がつけられるのかがいまひとつ理解しかねる。
しかし、そんな綾奈の心配をよそに、貴志は水樹の方へと振り返ると苦笑混じりに返した。
「ひと足先に行っちゃいました。駿足ですよね」
全く動じていない貴志に綾奈はぱちくりと瞳を瞬くと、貴志の服の裾を引っ張って彼を呼び寄せた。
「あの、君…知ってたの?聖の‥・・」
水樹には聞こえないような声音で問いかければ、綾奈の言葉が終わる前に貴志は素直にコクリと頷いて見せる。
流石の聖も力のことを知らない相手の前ではそこまで大っぴらにはしないかと納得して、とにかく今の綾奈にとっては聖の事が気になって仕方がない。
綾奈はにっこりと微笑み返すと貴志の肩をぽんと力強く叩いた。
「じゃ!ここは任せた!」
「………えっ」
親友であるはずの水樹のことを貴志へと全面的に押しつけると、綾奈は止めていた足を再び全速力で稼働させた。
「先輩っ!?」
後ろで響く貴志の声に心の内でザンゲしつつ、とにかく何処へ行ったかも分からない聖を追いかけた。






先ほど窓が落ちてきた中庭まで出てくると、しかし予想は外れてそこには聖の姿は確認できない。
「ここじゃないなら後は何処だー‥・」
乱れた息を整えながらも、綾奈は空しくそう呟く。
ここ数日の聖の様子を考えると、一人にしておくのはどうしたって良くないように思うのに、自分にはいつも力が足らないなどと弱音を吐きたくなる。
透夜との喧嘩以外に聖が落ち込む原因など到底思い当らないのだが、他に原因があるのは確かなようだ。
透夜も自分も聖との付き合いは同じ位だとは思うのに、聖はいつも彼にばかり悩み事を打ち明けているように思う。
透夜と自分の技量の差か、それとも単純に同性の方が話しやすいのか。
(ちっ、やっぱりライバルはヤツか………)
妙なところで主線から外れた思考に自ら脱力しつつ、綾奈は小さく溜め息を吐いた。
「それにしても、窓が落ちるかね普通…」
落下した窓の残骸を眺めながらそう呟やいて、しかしあれだけ大きな衝撃音がしたというのに人が集まってきた様子の全くないことに、綾奈は僅かに違和感を覚える。
確かに自分はパニックを起こして聖を残しこの場を去ったのだから直後のことは分からないのだが、試験休みで人が少ないといっても部活動で登校しているのは聖達だけではないはずで、日直の先生だって居るだろう。
奇妙な現実に眉をひそめ、とにかく教員に知らせるべきかと思い直してきびすを返した綾奈の視界に、突如見知らぬ人影が現れる。
「っ?!」
直前まで全く気配のなかった相手に、綾奈は声もなく息を飲むと無意識に一歩後退った。
「本当に偶然であんなものが落ちてくると信じているのか?」
赤茶けた髪の青年は、自分よりも背の低い綾奈へと冷え切った瞳で見下すように言うと、落下し無残に砕け散った硝子の残骸へと視線を移す。
つられて視線をそちらへと向けた綾奈は、その視線を校舎の壁を伝い上がり、元は窓が填められていたであろう空間へたどり着く。
確かにあんな頑丈そうな窓がひとりでに落下するなど考え難く、せめて生徒たちで活気付いた時期であれば、あるいは事故と言われても納得がいくものを。
考えれば考えるほど、思考は嫌な方へと流れていく。
「聖龍王とはどういう関係だ?」
言葉に綾奈は眉根を寄せると、校舎へと向けていた視線を青年へと戻した。
「セイ…‥?‥何、誰?」
綾奈の反応に男は不快げに瞳を細める。
「さっきお前を庇って腕に怪我をしたヤツがいただろう。恋人か?」
その質問に何の意味があるのか分からず、綾奈はいぶかしげに表情を歪めた。
「幼馴染みですけど…貴方こそ何者なんですか?聖の知り合い・・・なんてことないですよね」
不審そうに返された綾奈の言葉はまるで無視され、青年から返った視線は品定めでもするようなものだった。
「恋人の方が都合が良かったが…まぁ、幼馴染でも大差ないか。聖龍王がお前をかばったということは、アイツにとってはそれだけ価値のある存在ということだしな」
青年の言葉にわけの分からないまま身の危険を感じた綾奈は、数歩後退りしたところをいつの間に現れたのか背後に居た別の男に肩を掴まれ、びくりと身体を強張らせる。
「しかし、皇子のほとんどが覚醒もまだだというのに、こんな回りくどい方法をとる必要があるのでしょうか」
綾奈の背後に立つ長身の男は、控えめながらも納得しがたいというように問いかけた。
「しかたないだろう、上のヤツらからくれぐれも軽んじるなと釘を刺されているんだからな」
会話の内容がまるで理解できないまま聞いていた綾奈は、とりあえず彼らが聖にとってよくない相手であること、自分が利用されようとしていることだけを理解する。
綾奈は掴まれた肩を振り解き、二人の男から距離をとるようにして数歩後退った。
「貴方たち一体なんなんですかっ、人を呼びますよ!」
声を荒げた綾奈に、しかし強がっているということは明らかで、二人の男からは冷ややかな視線が返るだけで。
「お前に助けなど呼べない。逃げられると思ったか?」
告げられた言葉とともに交わった視線に、本能的に危険を感じ取った綾奈は、しかし直後には瞳から光が消え、既に術中に捕らわれていた。
自我を奪われ表情の消えた綾奈を前に、男はつまらないとでも言う風に瞳を細める。
「呆気ないものだな…力も持たぬ民なのだから無理もないが。皇子であればもう少しは手応えがあるか」

 
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